道庵の介抱によって、裸松も正気がつきました。けれど身体が利《き》かず、右の腕は打ち折られて用をなさなくなっていますから、気が立つだけで、仕返しをするの力は絶対にありません。生命に別条はないが、不具《かたわ》にはなるだろうとの診立《みた》てで、かえって土地の人が安心しました。
 こうして裸松は問屋場へ担《かつ》ぎ込まれる一方、道庵、米友の二人は、多数の人に囲まれて、胴上げをされんばかりの人気で、玉屋の宿へ送り込まれました。
 道庵主従を送り込んだ後も、軽井沢の民衆は、容易に玉屋の家の前から立去りません。
 玉屋の前は真黒に人がたかって、そうして口々に、さいぜんの小童《こわっぱ》の強かったことの評判です。
 いずれも自分だけが、委細を見届けているような口ぶりで、身ぶり、手真似《てまね》までして見せて、つまり、あの小童は棒使いの名人だということにおいては、誰も一致するようです。
 だから、あれだけの短い棒で、さほど数も打たず、強くも打たないで、裸松ほどのものを倒してしまった、おそるべき手練の棒使いだということが、誰いうとなく一般の定評となってしまいました。
 次に、道庵先生の評判になると、や
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