を嘗《な》めて、薬を見つけて、人間の疾病を救ったものだが、道益様のなすところはそれと同じことだ。ただ草を嘗めるというが、この草を嘗めて良否を見分けるというのは、なかなか度胸がなけりゃできねえよ。そうして道益先生は山に寝《い》ね、谷に転がり、木曾の山中を薬草を探し歩いて尾張に出で、名古屋へ行って銀若干を借りて、それで草を掘る道具類を買受けて、それを一人に一本ずつ与えて、また山中へ入れて薬草を取らせたのだが、仕事を与えられた人々は先を争うて山に入り、日々山の如く薬草を取って来た。それを粗製して年々三都へ売り出すことにしたものだから、もとより薬草の質がいい上に品が多い。今のように木曾薬草の名が天下に知れて、長者町の道庵までがそのおかげを被《こうむ》るようになったのは、みなこの道益先生の親切だ――医者に限ったことはねえ、天下の政治でも、実業界の仕事でも、すべてこの人類に対する親切気から湧いて来なけりゃ嘘だな。道庵なんぞもまことにお恥かしいはずのもので、何一つ社会へ親切気を示したことはねえのに、酒ばかりくらって、諸方をほうつき[#「ほうつき」に傍点]歩いているのは、古人に対しても、なんともハヤ相済まねえわけのものだが……道庵は道庵だけの器量しかねえんだから、どうぞ勘弁しておくんなさい」
 道庵がポロリポロリと涙をこぼして泣き出しましたけれど、この時は誰も笑うものはありませんでした。
 それから道庵は長沼流の「兵要録」の原本を見たり、義民多田嘉助の筆跡を見たり、臥雲震致《がうんしんち》が十四歳のとき発明した紡績機械の雛形《ひながた》を見たりして、あまり甚だしい脱線もなく、この展覧会を立ち出でました。
 これは初対面の人よりは、かえって附添の米友を驚かしたことで、事毎に何か脱線あるべきはずの先生が、ここでは一切脱線なしに、かえってその言う事が人々を感心させ、その見るところが玄人《くろうと》を敬服させ、案内する者をかえって案内して引廻すようなこともあり、そうして、それぞれ有志たちから受ける尊敬心を裏切らずに押して行く交際ぶりのまじめさが、米友をいたく驚かせました。これは本当の先生だ! 今まで嘘の先生と思っていたわけではないが、こうして押しも押されもせぬ先生で通れるのに、あんな馬鹿騒ぎをして、われと格を落す先生を気の毒と思わずにはいられません。
 やがて松本の城の天守閣の上まで見せてもらうことができました。
 壮大なる松本城天守閣上のパノラマ。あいにく、この日は曇天で、後ろのいわゆる日本アルプスの連峰は見えず、ただ有明山のみが背のびをしているように見えます。
 道庵は酔眼朦朧《すいがんもうろう》として眺める。米友は眼をみはって高い石垣の下の濠《ほり》を見下ろす。城を下って城を見上げて、説明を聞くと、加藤清正も熊本城を築く前に来って、この城を見学して帰ったという。天守閣の棟が西に傾いているのは、義民多田嘉助が睨《にら》んだからだという。
 道庵は、そこで、どうした風の吹廻しか七言絶句《しちごんぜっく》を三つばかり作って、同行の有志家たちに見せました。
 それは、いよいよ米友を驚嘆させて、おいらの先生は、あんな四角な文字まで並べられると、非常に肩身の広い思いをさせ、また同行の有志家たちも、即席に漢詩を作る道庵の技倆に感心をしたらしいが、詩そのものは道庵の名誉のためにここに掲げない方がよろしいと思う。道庵自身も、その辺は御承知のことと見えて申しわけたらたら、
「曲亭馬琴様は、あれほどの作者だが、悪い病には漢文を作りたがってな。漢文さえ作らなきゃあ馬琴様もいい男だが……人は得て不得意なものほど自慢をしたがるやつで……」
といって紙に書いて見せました。
 道庵の詩作に感心した有志家たちは、
「先生は武芸の方もおやりになるそうで……当地にはこれこれの道場もございますが、御案内を致しましょうか」
と来た時に、さすがの道庵がオイソレとは言わないで、苦笑《にがわら》いをしました。
 見も知らないところで、玄関から物々しく、武者修行の案内を求めてこそ、芝居もほんものになるが、身許《みもと》をすっかり知られてしまってからでは、気が抜けてしまって芝居にならない。そこで道庵もそれはいいかげんにごまかして、今日はこれからぜひ、浅間の湯へ行かなければならぬといって、なお松原の家でもぜひ、もう一晩というところを辞退して、浅間の湯へも案内しようというのを振り切って、二人はまた水入らずで松本の町を放浪しました。
 こうして急に息を吹き返したところを見ると、道庵も有志家連との交際を、かなり窮屈に感じてはいたらしい。
 そこで、歓迎から解放されて、自由な気持になり、今晩は浅間の湯へ泊って、ゆっくり休息をして、明朝は早立ちということになれば何のことはないのだが――町を通りながら、例の「
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