やになっちまうね」
 お絹はじれ出しました。それほどいやならば、この場を立って奥へでも行ってしまえばよいのに、いやになりながら、流し目で、七兵衛の運ぶ金包を眺めている。七兵衛はすました面《かお》で、気障《きざ》な手つきで、相変らず、ゆっくりゆっくりと金包を鎧櫃に蔵い込んでいる。なるほど、この手つきで、まだうずたかい金を蔵い込むには、夜明けまでかかるかも知れない。
 七兵衛も気が知れない男だが、口では早く蔵えの、いやになるのといいながら、それを横目で見て見ない態度《ふり》をしながら、いつまでも坐っているお絹の気も知れない。
「七兵衛さん」
「え」
「覚えておいで」
と言って、不意にお絹が立ち上って奥の方へ行ってしまいますと、そのあとで七兵衛は、鎧櫃のそばへゴロリと横になりました。

         十三

 神尾主膳はこのごろ「書」を稽古しています。これ閑居して善をなすの一つ。
 そこへお絹がやって来て、
「ねえ、あなた」
 殿様とも、若様ともいわず、あなたといって甘ったるい口。
「何だ」
 主膳は法帖とお絹の面《かお》を等分に見る。
「七兵衛のやつ、いやな奴じゃありませんか」
「ふーむ」
 主膳は、サラサラと文字を書きながら聞き流している。
「もう今日で七日というもの、ああやって頑張《がんば》って、動こうともしないで、見せつけがましい金番をしているのは、なんて図々しい奴でしょう」
「ふーむ」
 主膳は同じく聞き流して、サラサラと入木道《にゅうぼくどう》を試みる。
「それで、夜になると、何ともいえないいやな手つきをして銭勘定を始めるのです、昨晩なんぞはごらんなさい……」
 お絹が躍起になる。主膳は入木道の筆を休めて面を上げると、朝日が障子に墨絵の竹を写している。
「他ノ珍宝ヲ数エテ何ノ益カアルト、従来ソウトウトシテ、ミダリニ行《ぎょう》ズルヲ覚ウ……」
と神尾主膳が柄《がら》にもないことを呟きました。けれどもお絹の頭には何の効目《ききめ》もなく、
「昨晩あたりの気障さ加減といったら、お話になったものじゃありません、慶長小判から今時《いまどき》の贋金《にせがね》まで、両がえ屋の見本よろしくズラリと並べた上、この近所の地面を買いつぶして、坪一両あてにして何百両、それに建前や庭の普請を見つもってこれこれ、ざっと三千両ばかりの正金を眼の前に積んで、この辺でお気に召しませんか、お気に召さなければそれまでといいながら、またそのお金を、何ともいえないいやな手つきで蔵《しま》いにかかるところなんぞは、男ならハリ倒してやりたいくらいなものでした」
「ふふん」
と神尾主膳が嘲笑《あざわら》い、
「それほど、いやな手つきを、眺めているがものはないじゃないか」
「だって、あなた、手出しはできませんもの」
「手出しができなければ、引込んでいるよりほかはない」
「なんとでもおっしゃい、引込んでいられるくらいなら、こんな苦労はしやしませんよ」
「ふーむ」
「あなたは、お坊っちゃんね、そうして、のほほんで字なんか書いていらっしゃるけれど、わたしの身にもなってごらんなさい、火の車の廻しつづけよ」
「ふーむ」
「今、外へ出ようったって、箪笥《たんす》はもう空《から》っぽよ」
「ふーむ」
「わたしも、この通り着たっきりなのよ、芝居どころじゃない、明るい日では、外へ用足しに出る着替もなくなってしまってるじゃありませんか。これから先、どうしましょう」
「なるほど」
「なるほどじゃありません、何とか心配をして下さいましな、わたしの酔興ばかしじゃありませんよ、一つは、あなたを世に出して上げたいから」
「それはわかっている。そこでひとつ、俺も足立とも相談をして、何とか動きをつけようとたくらんでいるところだ」
「そんな緩慢なことをおっしゃっている時節ではござんすまい、現在、眼の前にあの通り、金銀の山が転がり込んでいるじゃありませんか、あれをどうにもできないで、指を啣《くわ》えて見ているなんてあんまりな……」
「いけない、ああいうのはいけない、度胸を据《す》えてかかっている仕事には、武田信玄でも手が出せない」
「ホントに焦《じれ》ったい」
 酔わない時は、神尾にもどこか鷹揚《おうよう》なところがある。お絹はそれを焦ったがっている。
「ねえ、あなた、今日は七兵衛の奴が珍しくどこかへ出かけてしまいました、その後に鎧櫃《よろいびつ》が置きっ放しにしてありますから、見るだけでも見て下さい」
「鎧櫃がどうしたの」
「その鎧櫃の中に、見せびらかしの金銀がいっぱい詰め込んでありますのを、置きっ放して七兵衛の奴が、珍しく早朝からどこかへ行きましたから、見るだけ見ておやり下さいと申し上げているのです」
「見たって仕方がないじゃないか、金銀は見るものではなくて使うものだ、使えない金銀は、見たって仕
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