官の悪評をしているところへ、川上が来合わせて、暫くその話に耳を傾けて、やがて外へ出てしまった。多分小便にでも出かけるのだろうと思っていると、やがて、平気な面《かお》をして立戻った川上を見ると、片手に生首《なまくび》を提げていた。それはただいま評判に上った悪代官の首であった――
 当時、人を斬るといえば必ず斬った者が三人はある。武州の近藤勇、薩摩の中村半次郎(桐野利秋)――それと肥後の川上彦斎。

         十二

 根岸の御行《おぎょう》の松の下の、神尾主膳の新屋敷の一間で、青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛が、しきりに気障《きざ》な真似《まね》をしています。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]と違って七兵衛は、あんまり気障な真似をしたがらない男でありますが、どうしたものかこのごろは、しきりに気障な真似をしたがる。
 というのは、毎晩、いいかげんの時刻になると、百目蝋燭を二挺までともし連ねて、その下で、これ見よがしに銭勘定を始めることであります。
 金銭や学問は、有っても無いふりをしているところに、幾分おくゆかしいところもあろうというものを、こう洗いざらいブチまけて、これ見よがしの銭勘定を始めたんでは、全くお座が冷《さ》めてしまいます。事実、七兵衛の前に、堆《うずたか》く積み上げられた金銀は、お座の冷めるほど、根太《ねだ》の落ちるほど、大したもので、隣りの千隆寺から持って来たお賽銭《さいせん》を、ひっくり返しただけではこうはゆきますまい。
 近在へ、盗み蓄えて置いたのを、残らずといわないまでも、手に届く限り持ち込んで、ここへこうして積み上げて、銭勘定を始めたものとしか見えません。第一、分量において、お座の冷めるほど、根太の落ちるほど、積み上げられたのみでなく、種類においても、大判小判を初め、鐚銭《びたせん》に至るまで、あらゆる種類が網羅されてあり、それを山に積んで、右から左へ種類分けにして、奉書の紙へ包んでみたり、ほごしてみたり、叺《かます》へ納めてみたり、出してみたりしている。
 それを、また、いい気になってその隣りの一間で、脇息《きょうそく》に肱《ひじ》を置いて、しきりに眺めている人があります。
 これ見よがしに、金銀をブチまけるのも気障だが、人の金銀を涎《よだれ》を垂らして眺めている奴も、いいかげんの物好きでなければならぬ。その物好きは、お絹という女です。
 これは猫に小判ではない、たしかに猫に鰹節ですが、この猫は牙を鳴らして、飛びかかりはしないが、猫撫で声をして、
「七兵衛さん、眩《まぶ》しくってたまらないから、蝋燭《ろうそく》を一挺にしたらどうです」
「へ、へ、へ、いや、これで結構でございますよ」
 見向きもしないで、また新たに小判の包みを一つ、ザクリと切ってブチまけたのは、いよいよ気障《きざ》です。
「小判のようですね」
「へ、へ、小判でございます」
「贋《にせ》じゃあるまいね」
「どう致しまして……小判も、小判、正真正銘の慶長小判でございますよ」
「本当かい」
「論より証拠じゃございませんか、一枚|嘗《な》めてごらんなさいまし」
と言って七兵衛が、その小判のうちの一枚を取って、敷居ごしの隣座敷のお絹の膝元まで、高いところから土器《かわらけ》を投げるような手つきで抛《ほう》ると、それがお絹の脇息《きょうそく》の下へつきました。
「お見せな」
 お絹はその一枚を手に取り上げて、妙な面《かお》をして眺めました。
「色合からして違いましょう」
「そうですね」
「それから品格が違います」
「そうかしら」
「これと比べてごらんあそばせ――こちらのは、常慶院様の時代にお吹替えになりました元禄小判でございますよ」
といって、七兵衛はまた一枚の小判を取って高いところから土器を抛《ほう》るような手つきで、お絹の脇息の下まで送りました。
「お見せな」
 それを、また拾い上げたお絹は、花札をめくるような手つきで、以前のと扇子開《せんすびら》きに持ち添えて眺め入ると、
「色合から品格――第一、厚味が違いましょう」
「なるほど」
「時代がさがると、金銀の質《たち》までさがります」
 七兵衛は抜からぬ面で、
「御通用の金銀を見ますと、その時代の御政治向きと、人気が、手に取るようにわかるから不思議じゃございませんか」
と、「三貨図彙《さんかずい》」の著者でもいいそうなことをいう。
「まあ、篤《とく》とごらん下さい。この慶長小判の品格といい、光沢といい、細工の落着いた工合といい、見るからに威光が備わっていて、なんとなしに有難味に打たれるじゃございませんか」
 自分も慶長小判の一枚を取り上げて、さも有難そうに見入ります。
「そういわれれば、そうです」
とお絹も感心したように、慶長小判の色合にみとれている。
「この小判一枚を見ても、権現様《ごんげん
前へ 次へ
全88ページ中36ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング