逆上《のぼせ》てもおたがいに目先の見えないところまでは行かない。お角も、再び一本立ちになって、これだけの仕事を切って廻すようになってからは、がんりき[#「がんりき」に傍点]のような男を近づけては、第一、使っている人たちのしめしにもならないし、がんりき[#「がんりき」に傍点]の方でも、少しは焦《じ》らしてみたりなんぞしても、もともと、女の尻をつけつ廻しつするほどの突《つ》ッ転《ころ》ばしではないのだから、自分の方からもあまり近寄らないようにしていたのを、それをいま来て見れば、二階には絵の先生というのを置いて、自分は湯治廻りとはかなりふざけている。
 第一、その絵の先生というのが癪《しゃく》にさわるじゃないか、ぬけぬけと二階に納まって、女共にちやほや[#「ちやほや」に傍点]されながら、脂下《やにさが》っている、色の生《なま》ッ白《ちろ》い奴、胸が悪くならあ――とがんりき[#「がんりき」に傍点]は、噛んで吐き出したくなる。
 それから、お角という阿魔《あま》も、お角という阿魔じゃあねえか……このおれが粋《すい》を通して足を遠くしていてやるのをいいことにして、色の生ッ白い絵描きを引張り込んで、抱《だ》いたり抱《かか》えたり、二階へ押上げたりして置くなんぞは、ふざけ過ぎている。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は、こんなふうに気を廻して、すっかり御機嫌を悪くしてしまい、
「そういうわけなら、ひとつその絵の先生というのに、お目にかかって行きてえものだ」
と、旋毛《つむじ》を曲げ出したのを、お勢はそれとは気がつかないものだから、
「およしなさいまし、なんだか気の置ける先生ですから……」
「何だって……?」
 がんりき[#「がんりき」に傍点]は辰巳《たつみ》あがりの体《てい》で、眼が据《す》わって来るのを、お勢は、
「ずいぶん、きむずかしやのような先生ですから、おあいにならない方がようござんしょう」
 留めて、かえって油を注ぐようなことになってしまいました。
「おい、お勢ちゃん、あっしはね、虫のせいでその気の置ける先生というのに会ってみてえんだよ」
「え?」
「そりゃ、いい株の先生だね、人の家に寝泊りをしてさ、そうして別嬪《べっぴん》さんたちを、入代り立代りお伽《とぎ》に使ってさ、それできむずかしやで納まっていられる先生には、がんりき[#「がんりき」に傍点]もちっとん[#「ちっと
前へ 次へ
全176ページ中39ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング