や》の飯盛女《めしもりおんな》――昔はこれを「くぐつ」といい、今は飯盛、あるいは宿場女郎という。東海道筋でいってみると、五十三駅のうち、官許の遊女屋のあるのは駿河の弥勒町《みろくまち》だけで、あとは品川でも、熱田でも、要するに飯盛女――駅という駅に、大小美醜の差別こそあれ、この種類の女の無いというところはない。これを美化すれば大磯の虎ともなり、詩化すれば関の小万ともなる。東海道名所|図会《ずえ》の第五巻に記して曰《いわ》く、
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「駅路の遊君は斑女《はんじょ》、照手《てるて》の末流にして今も夕陽《ゆふひ》ななめなる頃、泊り作らんとて両肌《もろはだ》ぬいで大化粧。美艶香《びえんかう》には小町紅《こまちべに》、松金油《まつがねあぶら》の匂ひ濃《こま》やかにして髪はつくもがみのむさむさとたばね、顔は糸瓜《へちま》の皮のあらあらしく、旅客をとめては……」
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云々《うんぬん》と筆を弄《ろう》しているが、名所図会という名所図会には、この駅路の遊君を不美人に描いたのは一つもない。ここの玉屋のお玉さんが、死んだお君に似ていたか、いないかは疑問ですけれども、玉屋の看板を背負って立つだけに、この駅では、指折りのあだっぽい女であったことは疑いがないらしい。
 水性《みずしょう》のお玉さんは、誰にも愛嬌を見せるように、米友にも最初から愛嬌を見せていました。というよりは、勇者としての米友を取持つ役を、ほとんどお玉さんひとりがとりしきってやっていたようなものですから、一緒に寝ようといえば寝もするし、夜もすがら語り明かそうといえば語り明かしもするし、どうでも米友の註文通りになったはずなのです。
 この道中で、ある時、道庵がこういって米友を慰めたことがあります、
「友様……人間には魂と肉体というものがあって、肉体は魂について廻るものだ、肉体は死んでも魂というものは残る。早い話が、家でいえば肉体は、この材木と壁のようなものだ、たとえばこの家は焼けてしまっても、崩れてしまっても、家を建てたいという心さえあれば、材木や壁はいつでも集まって来るぞ。で、前と同じ形の、同じ住み心地の家を、幾度でも建てることができるぞ……いいか、その心が魂なんだ。だから人間に魂が残れば、死んでもいつかまた元通りの人間が出来上って来る、だから何も悲しむがものはねえ……お前の尋ねる人も魂
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