、同業の人々が案内に立って、まず藩学|崇教館《すうきょうかん》に道庵主従を案内して、そのとき開かれた展覧会を見せてくれました。
 そこには松本を中心にして、概して信濃一国に関する古記古文書がある。諸名士の遺物がある。藩の殖産興業の模範といったようなものもある。
 道庵はそれをいちいち熱心に眼を通して歩き、「五人組改帳《ごにんぐみあらためちょう》」だとか、「奇特孝心者《きとくこうしんもの》の控《ひかえ》」だとか、松本新銭座の銭だとかいうものは、いちいち手に取って熟覧した上に、三村道益が集めた薬草の標本のところへ来ると、われを忘れて、
「有難い」
と合掌し、道益の自筆本「木曾薬譜《きそやくふ》」というのを見ると、伏し拝んでしまいました。
「これだ――これでなくちゃならねえ」
 道庵は三村道益の遺物の前で眼をしばたたいて、親の遺物に逢うように懐しみ、そうして言うことには、
「わしは別段、この道益先生を師として学んだわけでもなんでもねえが……その恵みというものは忘れるわけにはいかねえ。なぜといってごろうじろ、この木曾の薬草が今のように世に盛んに出て、貧民病者を助けるようになったのは、いったい誰のおかげだと思う。道益先生が考えるには、わしは代々この木曾で医者を商売にする家に生れたが、この木曾に産する薬草というものの良質にして、多量なることは、他国の及ぶところではねえ、もしこれをとって、年々に三都へ出して売り弘《ひろ》めた日には、少なくとも天下の薬価の三分の一を減ずることができる、それのみならず、木曾地方は山谷の間にあって、穀物を生ずることが少ない、そこで仕事のない人を山に入れてこの薬草を取らせ、それに多少の賃銭を与えることにすると、その人たちの生活の助けにもなる……と道益先生がこういって、それから自分も手弁当で、蓑笠《みのかさ》をつけて、数人の男をつれて山の中へ入り込んで、一草を見るごとに、必ずそれを取って嘗《な》めて、良いか悪いかを見分けて、その場所へいちいち目じるしを立てておいたものだ。その目じるしというのは、つまり後から取りに来る人のための目じるしだ。それのみならず、その草の根をまたいちいち掘って帰り、これを自分の庭園の中に植えて、山へ取りに行く人に実地を見覚えさせておいたものだ。なんとまあ親切な仕業《しわざ》じゃねえか――昔、支那には神農様というのがあって、百草の品々
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