ある者は型から入って自由の妙境に遊び、ある者は野性を縦横に発揮して、初めて型の神妙を会得《えとく》する。
無論、宇治山田の米友のは、その後者に属するものであります。
今や、米友は陶然《とうぜん》として、その型に遊ぶの人となりました。
こんなことは滅多にないのです。かつて、甲府城下の闇の破牢の晩に、この盛んなる型を見せたことがありましたが、あの時は如法暗夜《にょほうあんや》のうちに、必死の努力でやりました。今夜のは月明のうち、興に乗じて陶然として遊ぶのです。
その型の美しさ――すべての芸道において、型の神妙に入ったものは、先以《まずもっ》て美しいというよりはいいようがない。
惜しいことにこの美しさを見るものが、月と、水とのほかにはありません。
米友が陶然として型に遊んでいる時、その型を破るものは道庵先生の声であります。
「こいつは堪《たま》らねえ、こいつは堪らねえ」
道庵が突如として、うろたえ声で騒ぎ出しましたから、米友が、一議に及ばず馳《は》せ参じました。
見れば莚の上に眼を醒《さ》ました道庵は、合羽《かっぱ》をかなぐり[#「かなぐり」に傍点]捨てて頻《しき》りにうろたえている。
聞いてみると、今まで自分がいい心持で眠っているところへ、不意に何物か現われて、鼻っぱしをガリガリと噛《かじ》ったものがあるから、驚いて跳ね起きたところだという。
鼻っぱしをガリガリと噛られては堪らない。しかし、よく見れば道庵の鼻は完全に付いているし、四方《あたり》を見ても、何物も道庵を脅《おびやか》しに来たものの形跡を認められない。
「危《あぶ》ねえ、危ねえ、こんなところに泊っちゃあいられねえ、たしかに今、おれの鼻っぱしを噛りに来た奴がある」
といって道庵は、しきりにおびえながら、その荷物を掻《か》き集めて、こんなところには一刻もいられないというような身ぶりをする。
ははあ、それでは、さいぜんのあの犬に似て犬でないのがやって来て、道庵の寝込みを襲ったのか。
慌《あわ》てながら、うろたえている道庵を見ると、ブルブルと胴ぶるいが止《や》まない。怖いばかりではない、寒いのだ。酔っているうちこそいい心持で寝ていたが、多少醒めては、川原のまん中へ莚敷《むしろじき》では堪るまい。怖いのでうろたえているのか、寒いのに怖れをなしたのか、とにかく、眼を醒《さ》ました道庵が、一刻もここ
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