知らない。
歴史のうちの最も劃時代的なことをも知らない。この男は、死んだお君からいわせれば、素敵な学者ではあったけれども、まだ古事記を読んではいないし、日本書紀を繙《ひもと》いてもいないのであります。
ですから風車のことは暫く措《お》き、いま、自分がこうして現に立っているところの地点が、日本の歴史と地理の上に、由々《ゆゆ》しい時代を劃した地点であるというようなことには、いっこう頓着がないのです。
大足彦忍代別天皇《おおたらしひこおしろわけのすめらみこと》の四十年、形はすなわち皇子にして、実はすなわち神人……と呼ばれ給うたヤマトオグナの皇子が、このところに立って、「吾嬬《あがつま》はや」とやるせなき英雄的感傷を吐かれて以来、この地点より見ゆる限りの東を「あがつま国」という。その碓氷峠の歴史、地理の考証については、後人がいろいろのことをいうけれど、この「あがつまの国」に残る神人の恨みは永久に尽きない。けだし、石の無心の風車が、無限にクルクルと廻るのも、帰らぬ人の魂を無限の底から汲み上げる汲井輪《きゅうせいりん》の努力かも知れない。
上代の神人は申すも畏《かしこ》し――わが親愛なる、わが微賤《びせん》なる宇治山田の米友に於てもまた、この「あがつまの国」にやるせなき思いが残るのです。
それ以来、米友には死というものが、どうしてもわからない。死というものを現に、まざまざと実見はしているけれども、その実在が信ぜられない。
このたびの道中に於ても、米友が――若い娘を見るごとに、それと行き違うごとに、物に驚かされたように足を止めて、その娘の面《かお》を篤《とく》と見定め、後ろ姿をすかし、時としては、ほとんど走り寄って縋《すが》りつくほどにして、そうして、諦めきれないで、言おう様なき悲痛の色を浮べて立つことがある。その時にはさすがの道庵も、冷評《ひやか》しきれないで横を向いてしまうことさえある。
さればこうして高きところ、人無きところに立って、感慨無量に「あがつまの国」を眺めるのも無理はありますまい。
さて、米友をひとりここへ残しておいて、連れの道庵先生はどこへ行っている。
道庵は峠の町で少し買物があるからといって、米友を先に、この熊野の権現の石段を上らせておいたのですが――それにしても、あんまりきようが遅い。
道庵の気紛《きまぐ》れは、今にはじまったことではない
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