ましい鎧櫃一個がこの際、骨を劈《つんざ》いてやりたいほどに憎らしくなる。
「エイ!」
といって、鎧櫃の前の塗板の柔らかそうなところへ勢い込んで槍を立てると、難なくブツリと入りました。
 それを引抜いて、また一槍、また一槍。ブツリブツリと槍を突き込み、突き滑らして後、神尾はホッと息をついて、槍の石突を取り直して、その穴をあけたところをコジて、次に、手をもってメリメリと引裂くと、穴は忽《たちま》ちに拡大する。そこへ突きつけたお絹の手燭の光に、燦爛《さんらん》として目を眩《くら》ますばかりなる金銀の光。
 神尾は槍を投げ捨てて、バラリバラリとその金銀を引出してはバラ撒《ま》き、掴《つか》み出しては投げ散らすものですから、暗澹たる座敷の中が、黄金白銀《こがねしろがね》の花。
 神尾は、燃え立つような眼付をして、手に任せては、金銀を掴み出して、四辺《あたり》一面にバラ撒く。
 一時《いっとき》、その光にクラクラと眩惑したお絹は、ついにその手燭を畳の上へさしおいて、両の手を以て、木の葉の舞う如く散乱する金銀を掻集《かきあつ》めにかかります。
 こうなると神尾主膳の野性が、酒ならぬものの勢いに煽《あお》られて、さながら、酒に魅せられた酒乱の時の本能が露出し、手に当る金銀のほか、包みのままで引出した封金をも、わざと荒らかに封を切って投げ出したものですから、その、燦爛たる光景はまた見物です――大にしては紀文なるものが、芳原《よしわら》で黄金の節分をやった時のように。小にしては梅忠なるものが、依託金の包みを切って阿波の大尽なるものを驚かした時のように――放蕩児《ほうとうじ》にとっては、人の珍重がるものを粗末に扱うことに、相当の興味を覚えるものらしい。神尾主膳も取っては撒き、取っては散らしているうちに、ついに撒き散らし、投げ散らすことに興味が加速度を加えたらしく、狂暴の程度で働き出している。
 お絹もまた、拾えば拾うほどに、集めれば集めるほどに、そのこと自身に興味を煽られてしまっている。ここには、紀文の時のように、吾勝ちに争う幇間《たいこ》末社《まっしゃ》の類《たぐい》もなし、梅忠の時のように、先以《まずもっ》て後日の祟《たた》りというものもないらしい。あったところでそれは相手が違うし、第一、自分が直接の責任者ではなく、いわば神尾を煽《おだて》て骨を折らせ、自分は濡手で掴み取りをしている
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