うに、耳が聞えないんですか」
狂女はわが身の不幸を忘れて、この少年の不具に同情しました。少なくとも、その同情の余裕の存することを駒井は感心し、
「この子は支那の生れで、名をキンツイといいます」
「キンツイさんですか、妙な名ですね」
「非常にまじめな少年ですから、あなた、よくお附合いなさい」
「本当ですか……まじめな人って、なかなか当てにはなりませんけれど、まだ若いから大丈夫でしょう」
「大丈夫です。それに神様を信心していますから」
「まあ、神様を信心しておいでなんですか、支那にも神様がありますのですか」
「ありますとも、人間は有っても無くっても、神様の無いというところはないと、私もこの少年から教えられました」
「まあ感心ですわね、子供のうちから神様を信心するなんて。わたしも神信心をしたいにはしたいんですけれど、どこに神様がおいでなさるか、わからないんですもの」
といって、自分も一時、神信心をしてみたけれども、天神様を拝めば天神様があちらを向き、不動様を信じようとすれば不動様があちらを向くので、とうとう信心をやめてしまったというようなことをいい出すのは困るが、このほかのことは、問いに応じてほぼ的を誤まらないように答えるものですから、駒井は、この女の病気は癒《なお》るかも知れない、とさえ思いました。
名前を問えば、もゆる[#「もゆる」に傍点]と答えました。駒井が念を押すと、
「もゆる[#「もゆる」に傍点]とは、草木のもゆる[#「もゆる」に傍点]という意味でつけたんでしょう、わたしにはよくわかりませんけれど」
と答える。姓は岡本といわずに、里見と呼んでもらいたいということ。
保田から昨晩、夜通しここまで歩いて来たが、一人で夜道をしても少しも怖いとは思わないということ。山でも、坂でも、さして疲れを覚えないで歩き通すということ。途中、人にであっても、こちらより先方が怖がってよけて通すということ。
それでもよわみを見られてしまってはもう駄目だということ。
打明けた話を聞かされていると、駒井は不愍《ふびん》の思いに堪えられなくなりました。なるほど、これをこのまま突き出してしまえば、残れるところのすべてのものを、泥土《でいど》に委《まか》してしまうのだ。本来、よい育ちでもあり、また生来、悪い質《たち》の娘ではない――そのうち、尋ねる人が来たならば、よく話をしてやろう。来な
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