ありません。けれども、与八がこしらえたということが、人の心を縁喜《えんぎ》にすると見えて、出来の如何《いかん》は問わないで、みな喜んで頂礼《ちょうらい》して捧げて持ち帰る。
「与八さん、皆さんが、あれほど有難がって頼むんですから、かかりっきりに彫刻をなさいましよ、ほかの仕事は誰でもやれますが、その彫刻は与八さんでなければ出来ない仕事でしょう」
とお松が、かたわらからすすめるくらいです。与八にとってはドレが本職で、ドレが余技ということもないが、一を専《もっぱ》らにするために、他を粗略にするということはないようです。ですから、彫刻のみにかかりきりということはできません。今日は雨が降るから、それで道場の中で彫刻をはじめたものです。
今とりかかっているのは石の高さ一尺――極めて小さなものです。これはある子供の母が、死んだおさな児へ供養《くよう》の手向《たむ》け。
相好《そうごう》がいいというのは、単純なる鑑賞の心。功徳があるというのは、多少功利の念が入っているかも知れない。供養のためというのは本当の親心。死んだ子を行くところへ行かしめたい親の慈悲。与八さんの刻んだお地蔵様が、賽《さい》の河原でわが子を救うという。
与八もこのごろ一つ助かることは、お松が来てくれたので、まず児を育てるの心配がなくなったこと。お松は、郁太郎と登を両手に抱えて、かたわら与八の仕事のすべてに後援を与えている。幸いに、近所から子守も来てくれるし、たのめばいつでも人手が借りられる。剣術の道場は、いつか知らず寺小屋となり、学校となり、与八の製作場となる。
無心で与八が地蔵を刻んでいる時、どうかすると、ふいと気がさして道場の武者窓を見上げることがある。そこから、誰か顔を出しているようでならぬ。
誰というまでもない、それは女で――
「与八さん、郁坊は無事ですか」
と恨めしい声。
その時に与八は、郁太郎の母お浜の面影《おもかげ》を思い浮べるのです。どうも、こうして仕事をしている与八のてもとを、お浜が武者窓からのぞいているような気がしてならないのです。
そういう時に与八が悲しい思いをする。もろもろの罪業《ざいごう》が、みんな自分を中に置いてめぐるように思い出す。この罪業のためには、持てる何物をも放捨して、答えなければならないという心に責められる。
与八が道場で彫刻をしている時、お松は母屋《おもや》の座敷で、机によりかかってお手本を書いておりました。
お手本というのは、ここの道場の学校に来る子供たちのために、西の内の折本をこしらえて、お松がそれに「いろは」と「アイウエオ」から始めて、村名尽《むらなづく》しに至るまで、それぞれ筆を染めているのです。
子供たちのためにお手本を書くのみならず、このごろでは、娘たちのために古今集《こきんしゅう》を書いてやったり、行儀作法を教えたりすることもあるのです。好んでお松が、人の師となりたがるわけではないが、お松は日頃の心がけもあり、ことに相生町《あいおいちょう》の御老女の家にある時、念を入れて字を習いましたものですから、なかなか見事な筆跡です。またその時に作法や礼式も心がけていましたから、今も、知っている限りのことは、人に伝えるようになったのです。
人に物を教えるということもまた、自分を教育する一つの仕事になりますものですから、今、お手本を書くにしても、お松は一生懸命であります。
幸いなことに、登は乳母《うば》がついて来ていてくれるものですから、手数もかからず、郁太郎の方は、もう四つになろうというほどでもあるから、これも、さほど世話が焼けない上に、子守がついていますから、お松はこうして、教育(というのも大袈裟《おおげさ》ですが)の方に身を入れることができるのであります。もう一つ幸いなことは、ほとんど絶家《ぜっけ》のようになっていて、荒れるに任せていた宏大な机の家屋敷が、これらの連中が移り住むことになってから、急に光りかがやきはじめたような有様であります。
人間の家は、人間が住まなければ駄目なものです。
お松のここで書いているお手本は、単に道場へ集まる子供たちに分けてやるのみならず、これから三里も五里も山奥の炭焼小屋や、猟師の家庭にまで入ります。
どうかするとこうしているところへ、武者修行が尋ねて来ることがある。道場の名残《なごり》を惜しむためか、そうでなければ、化物退治にでも来た意気込みでおとのうて見ると、応対に出るのが妙齢なお屋敷風のお松ですから、さすがの武者修行がタジタジで、
「ははあ、では、あなたは机竜之助殿のお妹御でもござるか……」
といってお松の顔をながめ、薙刀《なぎなた》の一手もつかうものかという思い入れをする。
「いいえ、わたくしどもは、ただお留守居をしているだけなんでございます」
そうしているところへ間もなく、ゾロゾロと草紙をかかえた近辺の子供が集まって来るものですから、武者修行は到底、薙刀をつかう娘ではないとあきらめて退却する。
海蔵寺の東妙和尚なども、お松の字をことごとく称美して、
「これは見事なものだ、どうしてわしらは遠く及ばない」
と言いました。それも謙遜だろうが、お松の字はお家流《いえりゅう》から世尊寺様《せそんじよう》を本式に稽古しているのですから、どこへ出しても笑われるような字ではありません。
そこで今までは、東妙和尚からお手本を書いてもらっていた人が、改めてお松をお師匠番にたのむ。こうなるとお松がこの寺小屋の実際上の校長で、その職分を、いよいよ興味あることに思っています。
しかしながら、現在|仇《かたき》の家に来て、自分たちが知らず識らずその事実上のあるじのようなところに置かれているのに、当の主人は行方《ゆくえ》が知れぬその因縁の奇《くす》しきことを思うと、お松は泣きたくなります。
早く、郁太郎を成人させて、立派にこの家を嗣《つ》がせて上げたいものだという心持に迫られる時、お松は、郁太郎を父竜之助に似ないで、祖父の弾正の優れたところにあやからせたいと思います。
ほどなく傘をさして二人、三人、五人と上って来る石段。
手習草紙を帯からブラ下げて、風呂敷を首根ッ子へ結えたのが、
「誰だい、ここんちへ、お化けが出るなんていったのは、三ちゃんかエ」
「おいらは、聞いたんだよ、よそで」
「悪いや、悪いや、お化けが出るなんて悪いやい」
「だって聞いたんだもの。おいらが、こしらえ事をいったんじゃねえのよ」
「悪いや、お化けが出るなんて」
こういいながら石段を上る子供連。村里から机の屋敷へのぼるには、かなりの石段を踏まなければならぬ。
「だって、この間も、旅のお侍がいってたよ」
「何だって」
「あの道場へお化けが出るって」
「嘘だあい」
「聞いてみな、今度、旅のお侍が通ったら聞いてみな」
「どんなお化け?」
「知らねえや、おいらは見たことがねえから」
「嘘だい」
たしなめ役の丈《たけ》の高いのが、お化け説をどこまでも否定する。
「お化けが出たって、夜だけだろう」
「そうさ」
「夜だけなら怖くねえや」
いちばん背の低いのが怖くないという。
「与八さんがいらあ、与八さんがいるから怖くねえや、与八さんは力があるんだぜ、とても力があるからなあ」
「駄目だよ」
おでこが差出口《さしでぐち》をする。
「何で駄目だい」
「与八さんは、力があったって、お人好しだから駄目だよ」
「お人好し?」
「ああ」
どちらもお人好しの意味がよくわからないで、
「お人好しなんていうのはおよしよ、与八さんは、ありゃお地蔵様の生れかわりだって、うちのおっ母《かあ》がいってたよ」
「うちの父《ちゃん》は、与八さんという人は、ありゃお人好しだっていってたよ。だから、力があったって、喧嘩をすることなんかできやしねえ」
「力は喧嘩のためにばっかり使うもんじゃあるめえ」
「だって喧嘩の時に使わなけりゃ、力があったって詰らねえや」
「そうでもあるめえ」
その時、子供の一人が急に下の方をながめて、
「ああ、それムクが来たよ」
「ムクが来た」
子供たちのすべてが傘をあみだにして下段の方を見ると、ムク犬が首に小笊《こざる》を下げて、悠々《ゆうゆう》とのぼって来る。
今ではこの犬も、同じところの屋敷に、同じように客となっている。
そうして、小笊を首に下げては、里へ買物に行くのを仕事の一つとしている。最初は怖れていた村の子供も、今はこの犬を畏愛《いあい》するようになっている。
子供たちはムクを中にとりまいて上りはじめる。お化けのことも、お人好しのことも、もう問題にはなっていない。
「犬ハヨク夜ヲ守ル、人ニシテ犬ニ如《し》カザルベケンヤ」
背の高いのが、大きな声で叫び出す。
「太郎ドンノ犬ハ白キ犬ナリ、次郎ドンノ犬ハ黒キ犬ナリ」
負けない気で、あとをつづけた鼻垂小僧《はなたれこぞう》。
「油屋ノ縁デスベッテコロンデ……」
と歌い出した涎《よだれ》くり。
こうして犬を擁《よう》した子供らは、石段をのぼりつめて冠木門《かぶきもん》をくぐると、
「先生」
「与八さあ――ん」
「こんにちは」
「雨が降ります」
道場の庭は、にわかに騒々しく、賑わしくなりました。
その時分、与八はもう地蔵の彫刻をやめて、道場の内部には机が並んで、三十人ばかりの子供がズラリと並ぶ。
「先生、こんにちは」
「お師匠様、こんにちは」
先生といわれ、お師匠様と呼ばれているのはお松です。
「みなさん、雨の降るのに、よく休まないで来ましたね」
お松はここで三十人の子供を相手に、単級教授をはじめる、介添役《かいぞえやく》は与八。
ソの字と、リの字の区別のつかないもの、七の字を左へ曲げたがるもの、カの字の肩の丸いのを直したり、やや進んだところで、村名尽《むらなづく》しの読み方、商売往来、古状揃《こじょうぞろえ》の読違えを直してやったり、いま与えてやったお手本へ、もう墨をこぼしたのを軽く叱ったりしていると、そのうしろでは何か物争いをはじめて、取組み合いがはじまるのを与八が取押える。
「お師匠様」
だしぬけに呼ばれて、お松は振返り、
「何ですか」
「与八さんはお人好しだっていいますが、本当ですか」
「そんなことをいうものではありません」
お松がたしなめると、当の与八は笑っている。
「お師匠様」
「何ですか、もうすこし小さい声をなさい」
「金太の野郎が、おいらの墨をなめました」
「なめやしないやい、香いをかいでみたんだい、こんな物をなめるかい」
「いけません、人の墨や筆を、だまっていじるものじゃありません」
「あ、先生、宇八が、あとから、おれの頭の毛をひっぱりました」
「いけません」
「お師匠様」
「何ですか」
「三ちゃんが、ここの道場へはお化けが出るって言いました」
「旅のお侍に聞いたんです」
「そんなことをいうもんじゃありませんよ」
「お師匠様、川っていう字は真中から先に書くんですね、端から書いちゃいけないですね」
「そうです、真中から先にお書きなさい」
「先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]は字を書くふりをして、人形の頭を書いています」
「うそだい、うそだい」
「うそなもんか、これ見ろ、墨がこの通り坊主頭になってらあ。先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]は字を書くふりをして、こんな坊主頭を書きました」
「いけません……それから周造さん、お前さんも、人のいいつけ口をするものじゃありませんよ」
「先生、おたあ[#「おたあ」に傍点]がおいらを睨《にら》みました、帰りに覚えてろといって、拳固《げんこ》をこしらえて見せました」
「静かになさい。多造さん、人をおどかしてはいけませんよ。それから周造さんも、おたあ[#「おたあ」に傍点]といわずに、ちゃんと多造さんとおいいなさい」
「先生、硯《すずり》の水がなくなりました」
「それではみなさん、お手習はこれでおしまいにします、硯と草紙を、ちゃんと正しく、筆を前に置いて、こちらをお向きなさい」
程経てお松がこういうと、子供たちが静まり返る。お松は自分も座について、
「手をよごしませんでしたか、さあこう
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