ことを、お銀様は言葉をつくして二人に説きました。
 二人は、お銀様のハッキリした語調と、情理ある頼み方に感心しているところへ、お銀様はさいぜん兵馬から受取った路用の全部を、二人の前に提出して、
「これはあの宇津木のために、あなた方がお預かりの上、御自由に処分をなすって下さい」
 仏頂寺と丸山は、眼を見合わせました。

         二十一

 あれから二十日あまりたって、田山白雲は洲崎《すのきき》の駒井甚三郎を訪れました。
「どうです、よい収穫がありましたか」
 駒井から問われて、
「ありました」
「それは結構です。まあ、こちらへ来て、ゆっくりと旅行談をお聞かせ下さい」
 そうして、白雲は、駒井の応接室へ来て、卓《たく》を隔てて椅子に身を載せて相対すると、そこへ金椎《キンツイ》が紅茶と麦のお菓子を持って来て、出て行ってしまいました。
「あなたと別れてから、保田《ほた》へ参りましてな、岡本兵部というものの家へ、取敢えず草鞋《わらじ》をぬぎましたが、そこでまず二つの収穫を得ました」
「そうでしたか、その二つの収穫とは何と何です」
「一つはあの家に秘蔵の仇十洲《きゅうじっしゅう》の回錦図巻と、もう一つはあの家の娘です」
「ははあ」
「仇十洲は御存じの通り、仇英《きゅうえい》のことで、明代《みんだい》四大家の一人です……」
 田山白雲は行李《こうり》を開いて、画帳一冊を駒井の前に置くと、駒井はそれを開いて、まず眼に触れた開頭の文章を読んでみました。
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「仇英、字《あざな》ハ実父、十洲ト号ス、太倉ノ人、呉郡ニ移リ住ム、呉派ノ第一流トイハレシ周東村ニ学ビ、人物鳥獣、山水楼観、旗輩車容ノ類、皆、秀雅鮮麗ト挙ゲラレ、世ニ趙伯駒ノ後身ナリト称セラル、特ニ流麗細巧ヲ極メシ歴史風俗画ニ於テハ艶逸比スベキモノナク、明代工筆ノ第一人者トイフベシ。伝フル所、士女雅宴、楼閣清集等ヲ画ケルモノ多シ……」
[#ここで字下げ終わり]
 駒井がそれを読んでいると、白雲は改めていうよう、
「それと、もう一つは岡本兵部の娘です、あれが、なかなかの傑作でした」
「それは、どういう意味でです」
 駒井は画帳を見ながら、岡本兵部の娘の、傑作という文句の意味を問い返すところへ、
「風呂がわきました」
 扉を押して金椎が顔を見せたものですから、駒井は、その方へ向いてうなずいて見せ、次に白雲の方に向き直り、
「風呂がわいたそうですが、おはいりなさってはどうです」
「イヤ、それは有難い、なにぶんこの通りですから……」
 白雲は喜んで立ち上りました。久しく湯の中をくぐらなかったので、身体《からだ》がウザついて来たと見え、お辞儀を忘れて立ち上り、
「遠慮なしに頂戴致しましょう」
「風呂場はあちらです……それから今のあの少年が世話をしてくれますが、あれは耳が聞えない聾《つんぼ》ですから、用事があったらば、手まねで差図をして下さい」
「承知致しました、それではお先に御免をこうむります」
 白雲が風呂場へ立ってしまったあとで、駒井は田山白雲の画帳を、物珍しくいちいち見て行きました。
「これは見たような女だ」
 駒井が、じっと見入ったのも道理、そのうちに一枚の美人の首だけがありました。
 これは模写でもなければ、想像でもありません。まさしく、モデルがあって描いておいたスケッチの類である。しかもその美人の面影《おもかげ》に、どうも見覚えがある――と思ったが、駒井は、咄嗟《とっさ》には思い出せませんでした。しかし、それも、もう一枚めくって見れば、難なく解決されたことで、そこには前に首だけ写生しておいた美人の全身が、妙な旋律を起しながら、胸に物を抱いて、舞を舞うているところが描かれてありました。
 暗澹《あんたん》たる燈火の下で、栄之《えいし》の絵にあるような、淋しい気品のある美人が踊っている。その両袖にしかと抱いているのは人形の首――ではない、乾坤山日本寺《けんこんざんにほんじ》の羅漢様の首。ははあ、白雲はあの狂女をつかまえたのだなと駒井が合点《がてん》しました。
 風呂から上って、駒井甚三郎の衣裳を着せられた田山白雲の形は、珍妙なものとなりました。それは白雲が大兵《だいひょう》の男であるのに、駒井の普通の丈《たけ》は合わず、ことに着慣れない筒袖が、見た眼よりも着た当人を勝手の悪いものにして、ちょいちょい肩をすぼめてみる形が駒井を笑わせる。
「あれから小湊《こみなと》へ参りました」
 白雲は、風呂へ入る以前の岡本兵部の娘の解釈はもう忘れてしまって、早くも話が小湊の浜まで飛んで行きました。
「小湊は、どうでした」
「あそこには長くおりましたよ、十日も逗留《とうりゅう》して、毎日、波ばかり描いていました。これがその波です」
といって白雲は行李《こうり》の中から、また別の画帳一冊を取って、駒井の前に置くと、
「なるほど」
 駒井はそれを受取ってひもといて見ると、一枚一枚にみな海の波です。
「小湊の浜辺は不思議なところで、あそこへ立ってながめていると、あらゆる水の変化を見ることができますな。水が生きている、ということを如実に見て取ることができます。水が生きている、という言葉は面白い言葉です、私が発明したのではありません、ある片田舎《かたいなか》の子供が発明したのです。沼と、池と、水たまりのほかに知らなかった子供が一朝、海のそばへ連れて来られて、最初に絶叫したのがこれです、ああ水が生きてる! この破天荒《はてんこう》の驚異、生きてるという一語は、われわれには容易に吐くことができません。しかし、小湊《こみなと》の浜へ立って見ると、はじめて水が生きている、生きて七情をほしいままに動かしているということを、確実に感受せずにはおられません。まず脈々として遠く寄せて来る大洋の波ですな、あれが生けるものの本体で、突出する岬と、乱立する岩に当って波がくだけると怒ります……波濤《はとう》の怒りは、この世に見る最も壮観なるものの一つですね。堂々として、前路における何物をも眼中に置かずに押しかけて来るところが壮観です。来って物に当ると怒って吼《ほ》えます、そうして、たとい乱離骨灰に崩れても、崩れるその事が壮観たることを失いませぬ。忿怒上部《ふんどじょうぶ》の諸天は、怒りのうちに威相と慈愛とを失わないものですが、波濤の怒りはそれに似ていますな、われわれに壮観を与えて威嚇《いかく》を弄《ろう》さない、戦闘を教えても執念を残さない。巨人の心胸は、さながら怒濤そのもののようです」
 田山白雲はこういって、幾枚も幾枚ものうち、波の怒れる部分だけを取って、駒井の前に積みました。とても筆では間に合わない……といった心持に迫られながら……
 駒井は与えられた絵をいちいち取って、仔細にながめていると、白雲は言葉をついで、
「しかし、海を怒るものとばかり思ってはいけません、歌うものです、泣くものです、笑うものです、また戯《たわむ》るるものです……これを御覧下さい」
と言って白雲は、別に一枚を取って駒井の前にのべながら、
「そうです、海は戯るるものです。戯るるものということを、私は小湊の浜辺でほどよく見たことはありません。御覧下さい、これがその心持をうつしたつもりなのですが、どうして拙者共の筆では……海の怒りはともかくその髣髴《ほうふつ》をうつすことができても、その戯ればかりは、とても、とても……」
 白雲は一枚一枚と、いわゆる海の戯れを駒井の眼前に並べました。
 それは今までと違って、奇岩怪礁に当って水の怒るところとは打って変り、岸辺の砂浜に似たところや、板のような岩の上や、岩と岩との狭間《はざま》に打ち寄する波のあまりが、追いつ追われつしているところを描いたものです。
「ここには海の※[#「彳+低のつくり」、第3水準1−84−31]徊《ていかい》があります、ここには海の静養があります、ここには海の逃避……」
 田山白雲は、着物のゆきたけの合わないこともすっかり忘れてしまいました。
「そういうふうに、小湊の海の浜辺に立つと、あらゆる水の躍動が見られるものですから、つい十日あまりを水の写生で暮してしまいました」
 駒井甚三郎は始終受身で、白雲の語るだけのことを語りつくすまで聞いてしまおうとの態度です。客を好まない人も、客の性質によっては、その貴重な研究の時間をいつまでも、それがためになげうって悔いないだけの余裕はあるようです。
 白雲は興に乗じて語りつづけました。
「われわれの写すところは、形と色とだけの世界ですが……そこで小湊の浜辺には、あらゆる波の形が存在しているとすれば、おのずから、あらゆる波の色も存在している道理でしょう。西洋の画家は色を研究します、東洋とても色を蔑《ないがし》ろにはしませんが、形を写せば、色はおのずから出て来る道理です」
「そうはゆきますまい」
 駒井はこの時、軽い抗議を挟みました。
「どうしてです」
 白雲は熱心な眼をかがやかせて、駒井の抗議を食いとめながら、
「どうして形を写して、色が現わせないのですか」
 改めて見直すまでもなく、白雲の描いた海は、一枚として着色のものはありません、みんな墨で描いたものばかりです。その点を駒井はいいました、
「桜の花だけを描いて、淡紅《たんこう》の色が出ますか、海の動きだけを写して、青く見えますか」
「そこです――」
 白雲は膝を進ませて、
「そこです、私の描いたものにそれが現われなければ、私の恥辱です。森羅万象《しんらばんしょう》をいちいちそれに類似した色で現わさねばならぬという仕事は、私にいわせると細工師《さいくし》の仕事で、美術の範囲ではありません。私は墨で描いたこの海の波に、いちいちの色の変化を現わしたつもり――でなければ現わすつもりでかきました、色ばかりではない、音までも……」
といって白雲は、何か急に悲しい色をその熱した満面に漲《みなぎ》らせ、
「音までも……といいたいのですが、不幸にして、私には辛《かろ》うじて高低の音階の程度だけしか出すことはできません。音律はある程度まで現わし得るかも知れませんが、音相に至っては、今のところ呆然自失《ぼうぜんじしつ》するばかりです。悲しいことです。この悲しさを今回の旅が、つくづくと私に教えてくれました」
 こういった時の白雲の面《かお》は、言おうようなき悲壮なものにうつりましたから、その論旨はわからないながら、その悲壮な色に駒井が動かされました。
 田山白雲は眼の中に涙をさえたたえて、言葉をつづけます、
「私が、浜辺に立って熱心に写生を試みていますと、一人の居士《こじ》が来ていいますことには、田山さん、あなたこの波の音を聞いてどう思いますか……と、こう問われたのです。そこで、ちょっと挨拶に困っていますと、この小湊の浜の波の音は、ところによって違います、あちらの沖で打つ波は、諸法実相と響きます、ここで聞いていると、他生流転《たしょうるてん》の響きに変りますね、汐入《しおいり》の浜では、歴劫不思議《りゃくごうふしぎ》が聞え、妙《たえ》の浦《うら》では南無妙法蓮華経が響きます、そのつもりで波の音を聞きわけてごらんなさい……こういわれましたから、私はナーニとその時は思いましたね、波の音にまで、そんな線香くさい響きがするものかと、その時は頭からばかにしてかかると、その居士《こじ》がいいましたよ、田山さん、あなたは水が生きている、波が七情をほしいままにしているといったではありませんか、生きているものの音《おん》に七情の現われはありませんか?……と、こういわれて私はハッと気がつきました。それお聞きなさい、大海の波の音が、今、諸法実相を教えていますといわれたとき、ゾッとしたのです」


 田山白雲は、大《だい》の身体《からだ》をゆすぶって、その目から涙をこぼして、拳をわななかせました。
 田山白雲は暫くして、昂奮から醒《さ》めたように冷静になって、
「日蓮の遺文集を読み出したのは、小湊滞在中の記念です。私はその十日の間に、日蓮の遺文全部を読みました。片田舎の子供が初めて海を見て、水が生きてる! といったように
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