、ドコへ腰を下ろしてよいのだか、それに迷いましたが、やむなく道場の板の間に足を置いて、畳の方へ腰をかけて、
「御免下さい、無眼流とあるのを珍しいことに存じました」
「はい、当今は一刀流だの、心蔭流だのというのがはやりまして、無眼流などは一向はやりませぬゆえ、こうして、道場の看板だけはかけておりますが、弟子というものが一人もありませんでな……」
 おやじはあまり自慢にもならないことを、平気でこういいました。
「勤番の諸士方で、御指南をこいにまいるものはありませんか」
「ありませんね……ばかにしてね、このおやじをばかにして寄りつきませんよ」
「市中の若い者は……」
「年寄をなぐっても仕方がないといって笑っています」
「失礼ながら、ドチラで無眼流をお学びになりましたか」
「飛騨《ひだ》の高山で習いました……武者修行の途中、あの山中で峨々《がが》たる絶壁の丸木橋を渡りわずろうていると、そこへ目の見えない按摩《あんま》が来て、スルスルと渡ってしまったのを見て、両眼があって、多年武芸をみがきながら、両眼見えずして無心の按摩の得ている極意《ごくい》に及ばないことを知って、ついに無眼流の一流を発明したのは私ではございません、流祖の反町無格《そりまちむかく》のことですよ。その流れをくみまして、こうして無眼流の看板を掲げましたが、いっこう弟子がつきません。今日はお前さんがたいそう神妙に話をなさるから、お相手になって上げましょう」
と言うところは、いかにも勿体《もったい》がついていますから、
「なにぶん、お願い申します」
 このおやじ、むかし取った覚えの竹刀《しない》で立合ってくれるのだろうと期待していますと、おやじは絵馬をかく手をいっこう休めず、道具をつけて立合おうとする気色《けしき》がなかなか見えません。あるいは、こうして悪く落付いたり、勿体をつけたりするだけに自信があるのかも知れないと、兵馬は多少心中たのもしがっているところへ、おやじは、
「で、お前さん、わしはこうして仕事をしているから、遠慮なく打ち込んでおいでなさい、竹刀でも、木刀でも、真剣でもかまいませんから……」
 けれども兵馬は、この老人に打ってかかろうとも、斬ってかかろうともしませんでした。この老人を打ち取っても功名《こうみょう》にはならない。絵馬代用の鍋蓋試合《なべぶたじあい》をはじめたところで芝居にもならない。しかし、それから老人と話し込んでいるうちに、老人の語るところのものには、なかなか聞くべきものがありました。
 竹刀《しない》の稽古と真剣とは全く別物であること。剣術の巧者《こうしゃ》は必ずしも真剣の勇者ではないこと。誰もいいそうなことだが、この老人は相応に実験を積んで来たと見えて、耳新しく聞えました。そのうち、初心の人が、真剣の立合をやむなくせられた場合、すなわち、どうしても刀を抜いて立合わねばならぬ場合には、眼をつぶって立合うに限る――ということから、いったい、人間の眼というものは見るべからざるものを見る時は、害あって益がないものだということ。
 それと同じで、有能者が無能者に負けることの逆理を説き出したのが、なるほどと聞きなされました。
「また、おいでなさい。無眼流の極意は、この見える目をいったんつぶしてしまわなければわかりません」
と老人が最後にいった言葉を意味深く聞いて暇《いとま》を告げ、若干の金を紙に包んで奉納し、なお老人のかいていた絵馬を一枚無心して、それをかついで帰路につきました。
 兵馬はその絵馬をかついで、舞鶴城《ぶかくじょう》の濠《ほり》の近辺を通ると、どうしたものか、一頭の犬が、兵馬の前路をふさいでさかんに吠《ほ》え立てます。
「しッ」
 兵馬が叱ったけれども、犬は容易に尾をまかないで、かえって目を怒らして兵馬に飛びかかろうとする、すさまじい勢い。
 そこで兵馬は小癪《こしゃく》にさわりました。かつて、慢心和尚がいうことには、「人間は、犬に吠えられるようでは、修行が足りない」
 兵馬は、この一言を思い出しました。なるほど、あの和尚は、随分奇抜な風采《ふうさい》で人の門《かど》に立つこともあるが、犬に吠えられたという例《ためし》を見なかった。人を見れば吠えつく悪犬でも、和尚がそばへ寄ると、鳴りをしずめてなついて来るのを、兵馬は実見して不思議なりとしたことがあります。
 和尚にいわせると不思議でもなんでもなく、害心のないところに、敵意の生じようはずはないのだと説明する。
 しかし、すべての人が犬に向って害心を持たずに近寄っても、犬のすべてが敵意を示さないという限りはない。そこに何かの修行があるのだと思いました。
 今しも、こうがむしゃらに吠え立てられてみると、それが頭にあるだけ、兵馬は癪にさわってならない。つまり、この犬は、自分の修行を、頭から無視してかかっているのだ。小癪な犬だと思わないわけにはゆきません。
「狂犬《やまいぬ》が、あっちへ行った、人食《ひとくら》い犬《いぬ》が、あの若い侍に食いついてらあ」
 ははあ、これは狂犬だ。だれかれの見さかいなく食いつくようになっている。あえて兵馬の修行を軽蔑しているのではない。兵馬は、それでやや安んじましたが、犬はいっそう烈しく、尾を振り、牙を鳴らして、兵馬に飛びかかって来るのです。
 そこで、兵馬は、今かついで来た絵馬を肩からおろして、これを左手で縦に構えると、狂犬はさしったり[#「さしったり」に傍点]というようなわけで、猛然としてその絵馬の上へ乗りかかって来たのを、右の手を遊ばしておいた兵馬が、絵馬の下から犬の左の前足をムズとつかむと、ハズミ[#「ハズミ」に傍点]をつけて一振り振って投げました。
 それは実に見事なもので、狂犬はクルクルと中空高く舞い上り、堤上《ていじょう》の松の枝をかすめて、濠《ほり》の真中へドブンと落ち込み、しばしは浮《うか》みも上りません。
「強いなあ、あの侍は」
 歩みをとめた人々が驚嘆して集まるので、兵馬はきまりが悪く、絵馬をかかえて一散に逃げました。

         十九

 ちょうどその日の薄暮《はくぼ》、韮崎《にらさき》方面からこの甲府城下へ入り込んだ武者修行|体《てい》の二人の者。前に進んでいた逞《たくま》しいのが、何を思い出したか、刀の柄袋《つかぶくろ》を丁《ちょう》と打って、
「あ、今になって思い当った」
 突然に叫び出したものですから、同行の丈《せい》の少し低いのがビックリして、
「何だい、何を思い出したのだい」
「あの、例の塩尻峠の……」
と前の逞しいのが、ちょっと後ろを振返りました。これはいのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の斬合いの一人、仏頂寺弥助であって、それに答えて、
「塩尻峠のしくじりを、まだ持越しているのかい」
 それは書生で、医術を心得ているあの時の立会人、丸山勇仙であります。
 斬られて介抱を受けた、二人がいないところを見れば、あの傷がもとで死んでしまったか、そうでなければ、まだ治療最中であろう。
「あれはな、あの男は、武蔵の沢井の机竜之助だ――」
「え、武蔵の沢井の……机?」
「そうだ、そうだ、それに違いない。それと知ったらば出ようもあるのだった」
 仏頂寺弥助が何か思い出して、しきりに残念がるのを、丸山勇仙が解《げ》せない顔をして、
「覚えがあるのか」
「あるとも、あるとも……噂《うわさ》だけで大いに覚えがあるのだ、武州沢井に机竜之助の道場があって、一種不思議な剣術をつかい、人がそれを音無《おとなし》と名づけるという評判を聞いていたから、一度、その門を驚かしてみたいと思っていたのだ」
「武蔵の沢井とは、どちらの方面だ」
「多摩川の奥の高地で、江戸から甲州裏街道、つまり大菩薩越えをするその途中、御岳山の麓あたり。あの辺は、むかし関東の野を追われた平将門《たいらのまさかど》の一族と、甲州武田を落ちて土着した子孫が住んでいる。それで剣術は、甲源一刀流が流行《はや》っている。それだ、その男だ、あれは……」
と言って、仏頂寺弥助が先達《せんだっ》て、塩尻峠の不思議なる盲剣客のことを頻《しき》りに思い返し、
「それと知ったら、また出ようもあったものを……」
と重ね重ね残念がる様子。
 そこで、まだ呑込めないらしい丸山勇仙のために、仏頂寺弥助は、沢井道場、音無の剣術ぶりの物語をし、今その主人公は、行方不明になって、その道のものの問題とされていることを話して聞かせると、丸山勇仙が、
「ははあ、そういうわけで、そういう人物であったのか……なるほど」
と幾度もうなずきましたが、つづいて、
「それで、机竜之助という男はいったい、いい男なのか、わるい男なのか」
「何だ、それは――」
「つまり、机竜之助は美男子であったか、それとも、醜男《ぶおとこ》であったか、それを聞いているのだ」
「妙なことを聞くじゃないか」
「そこが問題だ」
「誰がそんなことを問題にしている」
「いや、それが、なかなかの大問題になったことがあるのだ」
「どうして、それをお前が……第一、机竜之助なるものの存在を、ただいま、拙者の口から初めて聞いたお前が、あの男の容貌の美醜を論ずることでさえが奇妙なのに、それが問題になっていたというのはどこで……いつのことだ。してみればお前は、その以前から竜之助なるものを知っていたのか」
「知っていたのだ……知っていたのをお前からいわれて、今になって気のついた一人だ」
「いつ、どこで」
「大和の国、十津川のあの騒ぎの時よ。実は拙者もあの時、あの乱軍の中へまぎれ込んでいたものだ……その節、たのまれて竜之助なるものの人相書を書いてやったことがある」
 意外にも丸山勇仙が十津川話を持ち出して、その時、よそながら机竜之助にひっかかりのあったようなことをいう。
 仏頂寺弥助が、足を踏みとどめました。
 丸山勇仙が語りつづけていうことには、
「十津川の乱が平《たいら》いで後、藤堂方にたのまれて、拙者は医者の役目をしたり、書記のような真似をしていたが、その時、たのまれて人相書を幾枚も作った……そのなかに、ある少年が親とか兄弟とかの敵《かたき》だといって、人相書を註文して来たから、それを作ってやったのだが……その人の名が、たしか机竜之助、それで甲源一刀流の遣《つか》い手《て》と覚えていた。実は、乱徒のめぼしいものの人相書を幾枚も作らせられた後だから、大抵は忘れてしまっているはずだが、それだけを忘れないでいるのは、つまり、その時に問題が起ったからだ――」
「その問題は?」
「その問題が、それ、机竜之助は美《い》い男か、醜《わる》い男かという問題なのよ」
「ばかばかしい問題じゃないか」
「ばかばかしくないのだ、解釈のしようが人によって全然ちがうのだから……まず拙者がいわれるままに一枚をかいて見せると、それを見た一人が、机竜之助を、こんな美男子にかいてはいけないというのだ。けれども、いわれた通りにかけばこうなる――と主張したところが、そんな美男子ではいけないとおそろしい権幕、拙者のかいた下書をいじくり散らして、勝手な訂正を試みたものだから、それによって新たにかき直してみると、他の方面からまた苦情が出たのに、竜之助は、こんな尖《とんが》った貧相《ひんそう》な男ではないと。こいつには拙者も弱ったのだ、現在その人を見たわけではないのだからな。人の言葉によって、想像を助けられて描くのだから、どっちに附いていいかわからない。拙者がわからないばかりでなく、その席でまた問題が持上ってしまった。それでね、いったい、美男子の標準というものは、どういうのだと根本問題にまで立入って来たが、結局美醜は問題でないが、あの男が非常な魅力を持っていることは争われない、この絵にはその魅力が少しも現われていないということで、また新たに問題が湧き出した。それから拙者がいってやった、拙者は画家ではないから、その魅力なんというものは描き出せないから宜《よろ》しくたのむといってやったら、問題はまあそれだけになったが、不服は両方に残っている。人情というものは妙なものさ、竜之助非美男論者は、ほとんど絵に向って嫉妬のような
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