ミリメートルある、この紙質は植物性のもので耐久力は何年、この墨を分析してみると成分はこれこれ……というようなことを、おどろくばかり精密に教えてくれる。しかし、最後に、「して、いったい、この画は何を表現しているものですか」とたずねてみると、その科学者がいう、「あ、それには気づかなかった……」
 つまりこの科学者は、その絵の全体が、道釈《どうしゃく》だか、山水だか、人物だか、最後までわからなかったのです。
 これは凡庸なる科学者の罪ではない、遠く離れて画を見ることを知らなかったその罪です。
 道庵先生が、米友に向って、神を拝むには離れて拝めと教えた秘伝も、或いはその辺の理由から来ているのかも知れません。
 しかし、医者はその職業の性質上、科学者でなければならないことを知っているはずの先生ですから、科学を軽蔑するつもりはないにきまっている。近く寄って見ることを悪いとはいわないが、遠く離れて拝むことを忘れてはならないとの老婆親切かも知れません。偉大なる科学者は必ずこの二つを心得ている――というような気焔は揚げませんでした。
 こうして二人は社前を辞して大宮原にかかる。ここは三十町の原、この真中
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