てまた色慾を慎まなければならぬ……道中には、飯盛《めしもり》だの売女《ばいじょ》だのというものがあって、そういうものには得て湿毒《しつどく》というものがある」
 道庵先生は、丁寧親切に米友に向って、道中の心得を説いて聞かせているつもりだが、酒を飲むなの、色慾を慎めのということは、この男にとってはよけいな忠告で、御本人の方がよっぽど[#「よっぽど」に傍点]あぶないものです。
 それでも米友は神妙に聞いていると、ほどなく板橋の宿へ入りました。
「さあ、米友様、ここが板橋といって中仙道では親宿《おやじゅく》だ。これから江戸へは二里八丁、京へ百三十三里十四丁ということになっている、先は長いから、まあいっぷくやって行こう」
と、あるお茶屋へ休みました。
 こうして二人がつれ立って歩くと、こまったことには道庵の方はそれほどでもないが、米友の姿を見て、みかえらないものはないことです。極めて背の低いのが、もう袷《あわせ》を重ねようという時分に、素肌に盲目縞《めくらじま》の単衣《ひとえ》で元気よく、人並より背のひょろ高い道庵のあとを、後《おく》れもせずに跛足《びっこ》の足で飛んで行く恰好《かっこう》がお
前へ 次へ
全322ページ中67ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング