なる以前から、やはり南無妙法蓮華経と響いていたのでございましょう……海の波がしらは獅子の鬣《たてがみ》のようだと、人様が申しましたが、私共が聞きますと、大洋の波の音は、獅子の吼える音とおなじなのでございます」
 虫の鳴く音から誘われた弁信の耳には、東夷東条安房の国、海辺の怒濤《どとう》の響が湧き起ったようです。

         二

 その時、塔の上では茂太郎が、けたたましい声で歌い出しました――
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とっつかめえた
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った!
五両の相場
五両の相場は誰《た》が立てた
八万長者のチョビ助が!
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 けれども、下にいた弁信法師の耳には、この時|海潮音《かいちょうおん》の響がいっぱいで、茂太郎のけたたましい声が入りませんでした。
 弁信法師は今|黙然《もくねん》として、曾《かつ》て聞いた片海《かたうみ》、市河、小湊の海の響を思い出しているのです。梵音海潮音《ぼんおんかいちょうおん》はかの世間の声に勝《まさ》れりという響が、耳もとに高鳴りして来たものですから、その余の声を聞
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