して置くのだろうと、それを心もとなく思っていると、娘は恥かしそうに、
「もし……あなた、そこいらに茂太郎が見えましたら、お帰りにぜひおつれ下さいましな」
それでは、やっぱり連れがいたのか……そこへにわかに雲がまいて来ました。
日本寺の裏山はすなわち鋸山で、名にこそ高い鋸山も、標高といっては僅かに三百メートルを越えないのですから、そうにわかに雲を呼び、風を起すほどの山ではありません。しかし、このとき、にわかに雲がまいて来たのは、比較的、風が強かったせいでしょう。山も、木萱《きがや》も、一時にざわめいてきました。
髪と着物の裾《すそ》をこの風と雲とに存分に吹きなぶらせて、山を駈けおりる女は、羅漢様の首ばかりを後生大事に抱いて、
「いやな人……」
九
駒井甚三郎はその晩は日本寺へ泊り、翌《あく》る日は予定の通り船へ戻ると、船も予定の通りに館山へ向けて出帆したものですから、多分、無事に洲崎へ着いていることでしょう。
これよりさき、保田の町へ入り込んだ田山白雲は岡本|兵部《ひょうぶ》の家へおちつき、その夜は兵部の家の一間で、熱心に主人が秘蔵の仇十洲《きゅうじっしゅ
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