からないでいる。自分をわすれるにも程のあったものだというようなことを論じているうちに、船が木更津《きさらづ》へ着きました。
 ここで、こそこそと例の遊民どもは上陸し、乗客の大部分も下船しましたが、この二人は船の上に留《とど》まったまま、談論に耽《ふけ》っているのです。
 聞くところによると田山白雲は、保田《ほた》から上陸して房総をめぐり、主として太平洋の波を写生して帰るのだそうです。
 白雲のいうところによると、古来、日本の画家で、水を描いて応挙《おうきょ》の右に出づるものはないが、まだ大洋の水を写したのを見ない、房総の鼻をめぐって見ろと人から勧められたままに、出て来たのだということです。房総の海は自分に何を教えるか知らないといっている。
 駒井は、自分の仮住居《かりずまい》、洲崎《すのさき》の番所の位置をよく説明して、行程のうち、ぜひ足をとどめるようにとのことを勧め、田山は喜んでそれを請け入れました。
「わしは、こうして歩いていると、誰も画家とは見てくれないで困りますよ。いや困りはしません、結局、それが幸いになることもあるのです……そうです、十人が十人、拙者を武芸者だと睨《にら》んで
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