かかるのですな。それが都合のよいこともありますが、滑稽を引起すことも珍しくはない。いや、武術も少しやるにはやりました。拙者の藩は小藩ですからな、僅かに一万石の小藩ですから、家老上席になったところで九十石の身分です。しかし、武術は好きで、ずいぶんやるにはやりましたよ、自慢ではないが、まあ、大抵の喧嘩には負けません。武術も好きでしたが、絵も好きでした。子供の時分、拙者は江戸で生れました。浅草の観世音へ行っては、あの掛額をながめて、絵をかいたものです、あれが拙者の最初の絵のお手本です。文晁《ぶんちょう》のところへも、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と行きました。ありゃ俗物です、俗物ですけれども、一流の親分肌のところもありましたね……絵の本当の師匠は古人にあるのです、古人よりも山水そのものですな。雪舟もいいましたね、大明国《だいみんこく》にわが師とすべき画はない、山水のみが師だ……と。要するに写生です、一も二も写生ですよ……しかし、この写生観は応挙のそれとは性質を異にしているかも知れませんが、写生はすなわち自然で、自然より大いなる産物はありませんからな――いけません、西洋の山水画というものも、うす
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