の座敷で、机によりかかってお手本を書いておりました。
お手本というのは、ここの道場の学校に来る子供たちのために、西の内の折本をこしらえて、お松がそれに「いろは」と「アイウエオ」から始めて、村名尽《むらなづく》しに至るまで、それぞれ筆を染めているのです。
子供たちのためにお手本を書くのみならず、このごろでは、娘たちのために古今集《こきんしゅう》を書いてやったり、行儀作法を教えたりすることもあるのです。好んでお松が、人の師となりたがるわけではないが、お松は日頃の心がけもあり、ことに相生町《あいおいちょう》の御老女の家にある時、念を入れて字を習いましたものですから、なかなか見事な筆跡です。またその時に作法や礼式も心がけていましたから、今も、知っている限りのことは、人に伝えるようになったのです。
人に物を教えるということもまた、自分を教育する一つの仕事になりますものですから、今、お手本を書くにしても、お松は一生懸命であります。
幸いなことに、登は乳母《うば》がついて来ていてくれるものですから、手数もかからず、郁太郎の方は、もう四つになろうというほどでもあるから、これも、さほど世話が焼け
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