ありません。けれども、与八がこしらえたということが、人の心を縁喜《えんぎ》にすると見えて、出来の如何《いかん》は問わないで、みな喜んで頂礼《ちょうらい》して捧げて持ち帰る。
「与八さん、皆さんが、あれほど有難がって頼むんですから、かかりっきりに彫刻をなさいましよ、ほかの仕事は誰でもやれますが、その彫刻は与八さんでなければ出来ない仕事でしょう」
とお松が、かたわらからすすめるくらいです。与八にとってはドレが本職で、ドレが余技ということもないが、一を専《もっぱ》らにするために、他を粗略にするということはないようです。ですから、彫刻のみにかかりきりということはできません。今日は雨が降るから、それで道場の中で彫刻をはじめたものです。
今とりかかっているのは石の高さ一尺――極めて小さなものです。これはある子供の母が、死んだおさな児へ供養《くよう》の手向《たむ》け。
相好《そうごう》がいいというのは、単純なる鑑賞の心。功徳があるというのは、多少功利の念が入っているかも知れない。供養のためというのは本当の親心。死んだ子を行くところへ行かしめたい親の慈悲。与八さんの刻んだお地蔵様が、賽《さい》の河
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