取りになってみたり、またデモ倉や、プロ亀あたりとも交際をしてみたが、どうもあんまりたのもしい気がしない。
 デモ倉や、プロ亀ときては、新しい方へ頭をつっこんで、かなり鼻っぱしが強いかと思うと、風向き次第で、からっきし腰が据っていない。そのくせに人をおだてたり、あやつってみようとするケチな了簡《りょうけん》がある。そこで道庵が気がつきました。
 あいつらは平民の味方でも何でもないのだ。飯の種に新しいことを饒舌《しゃべ》り廻るだけで、たとえば大塩平八郎みたように、イザといえば、身を投げ出してかかる代物《しろもの》ではなく、佐藤|信淵《しんえん》のように、経済論から割り出そうという代物でもない。デモの調子のいい時はデモ、プロの風向きのよかりそうな時はプロ、つまり時の運気につれて飛び廻る蠅だ。あんな奴等の存在することは、本当の平民社会の信用を害し、その実際精神をさまたげ、かえって、人間に貴重な忍耐とか、奉公心とかいう方面の徳をすり減らすだけが能だ。
 本来、人間というものは、まだそう完全には出来ていないのだから、畏《おそ》れるところを、知ったり、知らしめたりして、つつましやかな徳を、持たせたり
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