、ドコへ腰を下ろしてよいのだか、それに迷いましたが、やむなく道場の板の間に足を置いて、畳の方へ腰をかけて、
「御免下さい、無眼流とあるのを珍しいことに存じました」
「はい、当今は一刀流だの、心蔭流だのというのがはやりまして、無眼流などは一向はやりませぬゆえ、こうして、道場の看板だけはかけておりますが、弟子というものが一人もありませんでな……」
 おやじはあまり自慢にもならないことを、平気でこういいました。
「勤番の諸士方で、御指南をこいにまいるものはありませんか」
「ありませんね……ばかにしてね、このおやじをばかにして寄りつきませんよ」
「市中の若い者は……」
「年寄をなぐっても仕方がないといって笑っています」
「失礼ながら、ドチラで無眼流をお学びになりましたか」
「飛騨《ひだ》の高山で習いました……武者修行の途中、あの山中で峨々《がが》たる絶壁の丸木橋を渡りわずろうていると、そこへ目の見えない按摩《あんま》が来て、スルスルと渡ってしまったのを見て、両眼があって、多年武芸をみがきながら、両眼見えずして無心の按摩の得ている極意《ごくい》に及ばないことを知って、ついに無眼流の一流を発明した
前へ 次へ
全322ページ中131ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング