ロソロとやって来て、
「こちら様の本堂は棟木《むなぎ》から柱、床板に至るまでことごとく一本の欅《けやき》の木でお建てなすったとやら、その評判をお聞き申しましたものですから、こうして通りがかりに伺いましたようなもので、口幅《くちはば》ったい申し分ですが、この道の後学のためにひとつ、拝見をさしていただきたいとこう思いますんで……」
「あ、左様でございましたか」
 弁信法師もまた、さることありと頷《うなず》いて、
「左様なお話を私もお聞き申しておりました、棟より柱、椽《たるき》、縁、床板に至るまで、一本の欅《けやき》を以て建てたのがこの本堂だそうでございます、それはいろいろと因縁話《いんねんばなし》もございますようですが、ともかく、ごゆっくり、ごらん下さいまし……」
 その道の者が参考に見学したいというのだから、見ても見せても、さしつかえないと弁信がのみこみました。
「はい、有難うございます、それでは、とりあえず本堂の方から拝見をいたしまして、次に三重の塔を」
「どうぞ、御自由に。誰か御案内を致すとよろしうございますが、ただいま、人少なでございますものですから、どうか御自由に」
「その方が勝手でございます」
 こういって、旅の男は、スタスタと本堂の方へ行ってしまいました。
 その後で、弁信は何か一思案ありそうな面《かお》をして、
「もう暗いはず、灯《あかり》が無くて見えるか知ら」
 本堂へ廻って行った旅の人は、この薄暗い空気の中で、建築の模様を眺めながら、ジリジリと堂をめぐって、早くも背面へまわりました。
 その時分になって、縁の下から面《かお》を出した茂太郎が、
「弁信さん」
「なに」
「今の人は、もう行ってしまったかい」
「まだ裏の方を見ているでしょう。お前隠れなくてもいいじゃないかね」
「だって……弁信さん、あれはいやな奴だよ、あれはね、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といって、両国橋にいる時に、よくやって来た、いやな奴だ。あたいを捕《つか》まえに来たんじゃないか知ら」
「そうかね、そんな人だったの。でも、旅の大工だといっているから」
「大工じゃない、遊び人なんだよ。何しに来たんだろう、気をおつけ」
「そうね」
 二人は、そのいやな奴が何しにここへ来たかを解《げ》しかねて、気味悪く思いました。
 がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵とてもまた、すでに机竜之助在らず、お銀様も、宇津木兵馬も、お雪ちゃんもいないところへ、なんだって今頃になって尋ねて来たのだろう。
 果して見るだけ見、たたくだけたたいてみたがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、なあんだ、つまらないという面《つら》をして、以前のところへ戻って来ると、弁信法師は相変らず縁に腰をかけていたが、茂太郎は再び九太夫をきめ込む。
「いや、どうもおかげさまで、大へんによい学問を致しました、まことに結構な建前《たてまえ》で……」
 こんなお座なりを言ったがんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵は、未練気《みれんげ》もなく、この寺を辞して出て行ってしまいました。
 そのあとで、弁信は、再び縁の下から這《は》い出した茂太郎をつかまえて、
「支那の道州というところは、どういう土地のかげんか、背の低い人が出るのだそうですね、大人になって身の丈《たけ》が三尺しかないのが出るのだそうです。で、それを矮奴《わいど》と名付けて、年々、朝廷に奉《たてまつ》ることになっていたのです」
「背の低い人間を天朝様へ上げるの。そうして、天朝様では、それを何にするの」
「珍しいから朝廷へ置いて、お給仕にでも使うんだろうと思います、それを道州|任土貢《じんどこう》といいました」
「ジンドコウ?」
「ええ、土地の産物を貢物《みつぎもの》にするという意味なんでしょう」
「そうですか」
「その度毎に悲劇――が起るんですね。つまり任土貢に売られるものは、親も、子も、兄弟も、みんな生別れです、嫌ということができません」
「それは無理でしょう」
「無理です。それですから白楽天が歌いました、任土貢|寧《むし》ロ斯《かく》ノ如クナランヤ、聞カズヤ人生ヲシテ別離セシム、老翁ハ孫《そん》ヲ哭《こく》シ、母ハ児《じ》ヲ哭ス……ある時、その道州へ陽城という代官が来ました」
「支那にもお代官があるの」
「ええ、お代官といったものでしょうか、日本のお大名ともちがうし……お代官よりは、もう少し格がいいんでしょう。その陽城という人が、道州を治めに来ました時、この任土貢《じんどこう》を、どうしても天朝様へ納めることをしませんでした」
「その時には、生憎《あいにく》、背の低い人が見つからなかったのでしょう」
「そうではないのです……陽城公は考えがあって、ワザ[#「ワザ」に傍点]とその背の低い人を朝廷へ奉らなかったのです。そうすると、天子様
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