ぜん御行の松の下で話し合っていたそれに違いない。今は、白昼のような蝋燭の光で、ありありと二人の姿を見て取ることができます。
 その時、七兵衛が疑い出したのは、この役人は町奉行の手か、お寺のことだから寺社奉行の手か。それにしても二人の役人ぶりが少し訝《おか》しいと思いました。仮りにも一カ寺に手を入れるのに、もとより確たる証拠は握っているだろうが、夜陰こうして踏み込むのはあまりに荒っぽい。そう思って、二人の役人を見下ろすと、どうも役人らしくなくて、浪人臭い――ははあ、これは例の四国町あたりの出動かも知れないぞ、と七兵衛が胸を打ちました。
 なるほど、芝の三田の四国町の薩摩屋敷の浪人あたりのやりそうなことだ。てっきり、それに違いないわい。それなら、それで、こっちにも了簡《りょうけん》があると、七兵衛が天井裏でニッと笑いました。
 下では、そんなことは知らず、いちいち婦人たちに訊問をつづけているが、いずれも恥かしがって返事がはかばかしくない。
「その方たち、夫ある身でありながら、こうして夜陰、お籠《こも》りをすることを許されて来たか」
「夫も承知のことでございます、ただ子供がほしいばっかりに……」
と泣き伏してむせぶ者もあります。
「どうだ、祈祷の利《き》き目《め》はあるか」
「はい……」
「聞くところによれば、住職及び徒弟どもの身持ちがよくないとのことだ、何ぞ覚えがあるか」
「…………」
「これは何に用うる品だ」
 問題の役人が手に取って示したのは、畸形《きけい》な裸形《らぎょう》の男女を描いた、立川流の敷曼陀羅《しきまんだら》というのに似ている。
「お祈りの時の敷物でございます」
「ナニ、これを下へ敷いて、その上でお祈りをするのか」
「はい」
 怖る怖る返事をするたびに、七兵衛がその婦人たちの横顔をうかがうと、町家のお内儀《かみ》さんらしいのもあれば、武家出の女房もあるようだし、お妾《めかけ》さんらしいのもあるし、ことに意外なのは、妙齢の娘たちが幾人もいることです。これらの娘たち、何の意味で子供が欲しいのか、問題の役人にもわからないが、七兵衛にもわからない。
 ところで、当の本尊の住職の行方《ゆくえ》はどうなった、問題の役人にはそれが気がかり。来ていたはずのお絹がここには見えない、それが七兵衛の気がかり。そこへ駈けつけた捕吏があわただしく、
「秘密堂の壇の下に、抜け穴がありました」
「ははあ、その抜け穴が……」
 さてこそとこの連中が意気込んで、その抜け穴というのを検分に出かけたあとで、七兵衛はソロソロと天井裏を這《は》い出して破風《はふ》を抜け、いつか廊下の下へおり立って見ると、そこへあつらえたように置き据えられた朱塗の賽銭箱《さいせんばこ》。しかも背負い出せといわぬばかりに紐《ひも》までかけてある。
 それを一揺《ひとゆす》りしてみた七兵衛は、行きがけの駄賃としてはくっきょうのもの、抜からぬ面《かお》で背中に載せると、燈籠の闇にまぎれてしまう。
 ちょうど、それと前後して、御行《おぎょう》の松の下を走る二人の者。前に手を引いているのはお絹で、あとのは千隆寺の住職。二人とも跣足《はだし》。
 ほどなく、神尾主膳の屋敷の中へ再び姿を現わした七兵衛。
 その時分、主膳は前後も知らず眠っておりました。
 その一間へ悠々とお賽銭箱を卸《おろ》した七兵衛は、早くも用意の裸蝋燭《はだかろうそく》を燭台に立て、その下で一ぷく。やがて、賽銭箱の蓋《ふた》を取ってかき交ぜ、燭台を斜めにしてのぞいて見ると、これはありきたりのバラ銭とちがい、パッと眼を射る光は、たしかに一分判《いちぶばん》、南鐐《なんりょう》、丁銀《ちょうぎん》、豆板《まめいた》のたぐい。これは望外の儲《もう》け物。しかしありそうなことでもあると徐《おもむ》ろにその獲物《えもの》の勘定にとりかかろうとするところへ、裏手で篠竹《しのだけ》のさわぐ音。
 ははあ、帰って来たな、と思いました。
 さいぜん、七兵衛が天井裏で眺めていた婦人の中には、お絹の姿が見えなかったのが不思議だが、あの女のことだから、うまく擦《す》り抜けたのだろう。これはたしかにあの女が帰って来たのだな、と思ったから、急にいたずら心が起りました。
 一番おどかしてやろうかなという心持で、フッとその燭台の火を消してしまいました。
 果して、立戻って来て、裏の篠藪からソッと枝折戸《しおりど》をあけて、入り込んで来たのは、千隆寺の住職の手を引いて、跣足《はだし》で逃げて来たお絹。ホッと息をついて、
「お前様、これが、わたくしどもの控えでございます、もう御安心あそばせ」
「いや、おかげさまで助かりました」
 やがて二人は廊下を通りかかると、その一室で音がする。その音は異様な音で、まさしく銭勘定の音であります。金、銀、青銅の類を取
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