のお守りの功徳の莫大なることと、これによって、子無き婦人が、玉のような子供を挙げた実例を、雄弁で説いた上に、なお、希望の方は根岸の千隆寺というのへおいでになれば、われわれの師僧が秘法によって、子を求めんとする婦人のために、容易《たやす》く子を得る方法と、安産の加持《かじ》をして下さるということをいいました。
 ははあ根岸の千隆寺。これが近ごろ評判のそれか。自分の侘住居《わびずまい》と程遠いところではないはず。そこに近頃、安産のお守り、子無き婦人に子を授ける御祈祷が行われて、ずいぶん流行《はや》っているということが、侘住居の神尾主膳の耳へまでよく聞えていた。いろいろの副業を持っているお寺だな。その住職なるものは何者か知らないが、なかなかの遣手《やりて》と見える、ひとつあたってみようかな、というこころざしを起しました。
 しかし、今のところへその住職を招くのも嫌だし、自分が行って会見を求めるのも嫌だ、何か機会はないものかと考えているうちに、そうだそうだ、お絹をやることだ、あの女を子を求める子無き婦人に仕立てて……これは打ってつけの役者だわい、と神尾が思いつきました。

         二十六

 それから二三日すると、どういう相談がまとまったものか、お絹が装いを凝《こ》らして、程遠からぬ同じ根岸の千隆寺へ通いはじめました。
 水野若狭守《みずのわかさのかみ》内、神林某の妻という名義で、幸い、この寺の檀家《だんか》のうちにしかるべき紹介者があったものですから、寺でも待遇が違いました。その当座は多くの婦人の中に交わって、お絹も殊勝に護摩《ごま》の席に連なる。
 住職の僧が存外若いのに驚かされました。年配は神尾主膳と同格でしょう。美僧というほどではないが、色は少々浅黒いが、どこかに愛嬌があって、また食えないところもありそうです。
 で、左右の侍僧がたしか十余人。
 席はいつでもいっぱい。しかもそれが六分通りは婦人。あとの四分も、やはり婦人ではあるが、もう婦人の役を終った老婆連と、そのおともらしい男だけ。
 この若い住職は、印の結びぶりも鮮かだし、お経を読むのもなかなかの美声です。
 ともかく、何の信仰心もなしにやって来たお絹でさえも、その席へ連なっていると、悪い心持はしません。
 それはある日のこと、
「神林の奥様、お急ぎでなくば、今日は書院でお茶を一つ差上げたいと、御前《ごぜん》の言いつけでございます」
「それは有難うございます」
 護摩の席が終ったあとで、帰ろうとするお絹を、こういって番僧がひきとめたものですから、お絹が喜びました。
 書院に待たせられていると、ほどなく例の千隆寺の若い住職が、まばゆいほど紅《くれない》の法衣をそのままで、極めてくつろいだ面色《かおいろ》をして現われ、
「お待たせ致しました」
「先日は失礼致しました」
「いや、拙僧こそ。あの時は多忙にとりまぎれて、余儀なく失礼を仕《つかまつ》りました、今日はごゆるりと、お話を承りたいと存じます」
「はい……」
 お絹はどこまでも殊勝な面色《かおいろ》と、武家の奥様という品格を崩さないつもりで、身の上話をはじめました。
 この身の上話は、ここに通いはじめた最初から用意をして来たのですが、今日まで直接に住職に打明ける機会を与えられなかったものです。
「おはずかしい次第でございますが、わたくしが不束《ふつつか》なばっかりに、主人の心を慰めることができません、連添って十年にもなりますが、子というものが出来ませんので、夫婦の中の愛情に変りはございませんが、家名のことを考えますると……」
「御尤《ごもっと》もなこと」
「家名大事と思いまする夫は、妾《しょう》を置くことに心をきめまして、このことをわたくしに相談致しましたが、聞くところでは、夫はもう以前から、そうした女を他に置いてあるのだそうでございます。わたくしと致しましては、それに不服を申そうようはございませぬ、快く夫の申出でに同意を致しまして、妾を内へ入れるようにと申しましたが、それは夫が気兼ねを致しまして……」
 お絹はそこで、自分の苦しい立場を、言葉巧みに住職に訴えました。嫉妬ではないが、女のつとめが果せないために、夫の愛を他の女に分けてやらなければならない恨み。どんな方法によってでも、一人の子供を挙げることさえできたなら、死んでも恨みはないという繰言《くりごと》。それを細々《こまごま》と物語りました。
 聞き終った住職は、
「いや、いちいち御尤もなこと、左様な恨みを抱く婦人が世に多いことでござる。御信心浅からずとお見受け申すにより、八葉の秘法を修《しゅ》してお上げ申しましょう、丑《うし》の日の夜、これへお越し下さるように……」
 案外|無雑作《むぞうさ》に允許《いんきょ》を与えられたものですから、お絹がまた喜びました。
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