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 お雪も、竜之助も、二階で、その歌と足拍子を、手に取るように聞いておりましたが、
「先生、木曾踊りがはじまりました。夏の盛りの時は、あれが毎晩のようにあったんだそうですけれど、もう人が少なくなったものですから、きょうは納めの木曾踊りだそうですよ」
 お雪は、その歌と踊りの音に、そそられたようですけれども、竜之助は、さほど多感ではありません。
「まだ、あんなに人がいたのですか」
「ええ、総出で踊っているんでしょう、お客様も、宿の人たちも、そうしてきょうは器量一杯に踊って、あすは、みな散り散りに別れるんですって、寒くなりましたから……」
「お雪ちゃん、お前も行って踊りなさい」
と竜之助が言いますと、
「わたし、踊れやしませんわ、ですけれども、ちょっと行って見て参りましょう」
「歌をよく覚えておいでなさい」
「ええ」
 お雪はこの座を立って踊りを見に行きました。

         十四

 お雪が行って見ると、下の座敷を打抜いて、かれこれ五十人ほどの老若男女《ろうにゃくなんにょ》が、輪を作って盛んに踊っているところでありました。
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木曾のナアー
 ナカノリサン
木曾の御岳山《おんたけさん》は
 ナンジャラホイ
夏でも寒い
 ヨイヨイヨイ
袷《あわせ》ナアー
 ナカノリサン
袷やりたや
 ナンジャラホイ
旅の人
 ヨイヨイヨイ
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 お雪が後から駈けつけて立って見ると、音頭《おんど》を取っていた五十ぐらいの、水々しくふとった婆さんが、お雪を見て、
「あなたもお入りなさいな」
「いいえ、わたし、踊れないんですもの」
「踊れますよ、中へ入っておいでなされば、誰でもひとりでに踊れるようになりますから、お入りなさいな」
「有難うございます」
 お雪がまだ遠慮をしていると、その色気たっぷりの婆さんが、また輪の中へ戻って、
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袷《あわせ》ナアー
 ナカノリサン
袷ばかりも
 ナンジャラホイ
やられもせまい
 ヨイヨイヨイ
襦袢《じゅばん》ナアー
 ナカノリサン
襦袢仕立てて
 ナンジャラホイ
足袋そえて
 ヨイヨイヨイ
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 このお婆さんの頬かぶりと踊りぶりが水際立《みずぎわだ》っておりました。やはりここへ湯治に来ているお客様の一人には相違ないが、いつかこのお婆さんが、
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