その斬られないのが不思議じゃアありませんか、先方は眼のあいた人が四人で……」
「それでも、こうして刀を持っていれば斬れないじゃないか」
といって竜之助は、右の指を一本出して刀を構える形をして見せますと、
「斬られないことにきまっているもんですか、刀を持っただけで、斬られないッてことがあるもんですか」
「それでも……こうしていれば斬れないものだ」
竜之助が横になりながら、右手の指を一本出している形に、お雪はゾッとしました。
「じゃ、あなたは剣術の名人なのですか」
「名人でも何でもないさ、人間が二尺の刀を持って、五尺の身体《からだ》を守れないというはずはないでしょう」
「だって、先生、刀と物差《ものさし》とは違いましょう」
「そうですね、刀と物差は……」
竜之助は、お雪の比較を珍しそうに暫く考えていましたが、
「同じようなものでしょう、眼をつぶっていても、思う通りの寸尺に切ろうと思えば切れますからね」
「そんなことがあるものでしょうか……」
お雪もそれを考えさせられましたが、しばらくして気がついたように、
「そうそう、昔、裁縫の名人があって、年とってから眼がつぶれ、不自由をしたそうですけれど、ハサミを持つと、物差をつかわないで、一分一厘の狂いもなくたちものをしたという話を聞きました」
と言いました。
それそれ、おれは今でも刀を取れば、何人《なんぴと》をものがさないのだと竜之助はいいませんでした。けれどもお雪は、眼が見えなくても、刀は使えるものだとうすうす信ずるようになって、
「それでも先生、もうおよしなさいましよ、ああいう時は早く逃げて、相手になさらないようになさいまし」
「逃げるったって、逃げられないじゃないか」
と竜之助が言いますと、
「全く困ってしまいましたわ。つまり運がよかったんですね」
ここでも運の一字で、偶然と必至とに結論をつけようとしている時、下の座敷で、にわかに足拍子の音が起って、声を合わせて歌い出したものですから、
「木曾踊りが始まりました」
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こころナアー
ナカノリサン
[#ここで字下げ終わり]
節面白く歌う木曾節は、
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こころナアー
ナカノリサン
心細いよ
ナンジャラホイ
木曾路の旅は
ヨイヨイヨイ
笠にナアー
ナカノリサン
笠に木の葉が
ナンジャラホイ
舞いかかる
ヨイヨイヨイ
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