ミリメートルある、この紙質は植物性のもので耐久力は何年、この墨を分析してみると成分はこれこれ……というようなことを、おどろくばかり精密に教えてくれる。しかし、最後に、「して、いったい、この画は何を表現しているものですか」とたずねてみると、その科学者がいう、「あ、それには気づかなかった……」
つまりこの科学者は、その絵の全体が、道釈《どうしゃく》だか、山水だか、人物だか、最後までわからなかったのです。
これは凡庸なる科学者の罪ではない、遠く離れて画を見ることを知らなかったその罪です。
道庵先生が、米友に向って、神を拝むには離れて拝めと教えた秘伝も、或いはその辺の理由から来ているのかも知れません。
しかし、医者はその職業の性質上、科学者でなければならないことを知っているはずの先生ですから、科学を軽蔑するつもりはないにきまっている。近く寄って見ることを悪いとはいわないが、遠く離れて拝むことを忘れてはならないとの老婆親切かも知れません。偉大なる科学者は必ずこの二つを心得ている――というような気焔は揚げませんでした。
こうして二人は社前を辞して大宮原にかかる。ここは三十町の原、この真中に立つと、富士、浅間、甲斐《かい》、武蔵、日光、伊香保などの山があざやかに見える。
原の中で米友が草鞋《わらじ》の紐を結び直しました。
十一
こうしてある者は南船し、ある者は北馬して江戸の中心を離れる時、例の三田四国町の薩摩屋敷ばかりは、いよいよ四方の浪人の目標となって、ここへ集まるものが絶えません。
今日も数十人の者が一席に集まって、群議横生のところ。
いよいよ甲府城を乗っ取るの時機が熟したという者がある。
さて、甲府を定めて後は、天険《てんけん》によって四方を攻略すること、武田信玄の如くあらねばならぬというものもある。
それに備えるの要害を利用すること、北条氏康《ほうじょううじやす》の如くでなければならぬというものもある。
さてまた一方には、相州|荻野山中《おぎのやまなか》の陣屋を焼討して、そこに蓄えられた武器と、軍用金を奪い取るは、朝飯前だと豪語する者もある。
他の一方には、関東の平野を定めるにはやはり平野から出づるのがよろしい、それには野州の野に越したものはない、栃木の大平山《おおひらやま》、岩舟山《いわふねさん》、出流山《いずるさん》等は
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