、平野のうちの屈竟《くっきょう》の要害だと主張するものもある。
 或いは房総の半島から起ること、源頼朝の如くあってよろしいというものもある。
 水戸を背景として、筑波によることも決して拙策ではないと補修するものもある。
 それよりも手っ取り早いのは、もう少し手強く江戸の内外を荒して、全くの混乱状態に陥れるに越したことはないと唱導するものもある。
 もう少し手強く江戸の内外を荒すというのは、つまり以前よりもモット豪商や富家をおびやかすことと、役人に楯をつくことと、徳川幕府を侮《あなど》ることなどで、それがかなり露骨にこの席で話が進みました。
 本所の相生町で牛耳を取っていた南条力は、この時はひとり、席の中心からは離れてたつみの隅の柱によりかかり、白扇を開いて、それに矢立の筆を執って、地図らしいものを認《したた》めていると、それを覗《のぞ》き込んでいるのが、鬢《びん》をつめて色の浅黒い四十恰好のドコかで見たことのあるような男です。よく考えてみると、それそれ、これは先日、武州の高尾山の宿坊で七兵衛と泊り合わせた神楽師《かぐらし》の一行の中の長老株の男でありました。
 南条は扇面に地図を引いて、席の大勢には関係のない二人だけの内談で、
「こういうふうに地の利がひっぱっているから、ここのところに手は抜けないのだ。江戸を計るものは、甲州を慮《おもんぱか》らなければ仕事ができない、家康も甲州の武田が存する以上は天下が取れなかったのだ、甲州は捨てておけない」
と言いますと、神楽師の長老が眉根を曇らせて、
「甲府が関東の険要であるとおなじ理由によって、飛騨《ひだ》の国が京畿《けいき》の要塞になるのでござる――ごらんなさい」
と言って懐中から一枚の地図を取り出して、南条力の前にひろげ、
「ごらんの通り、飛騨の高山は、彦根に対して俯《ふ》して敵を射るの好地にあるではござらぬか、加賀と尾張の二大藩を腹背に受けているようではござるが、一方は馬も越せぬ山つづき、一方は大河と平野によって別天地をなしてござる、一路直ちに西へ向えば、彦根までは手に立つ藩はござらぬ、飛騨を定めてしかして後に……」
 話ぶりによると、南条力はまず甲州を取らなければならぬといい、神楽師の長老は、それよりも飛騨を取るのが急務であると主張し、おのおの天険と地の利を説いて相譲らないらしいが、なにぶんにも二人の会話は、席の中心を
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