その時、竜之助が反問したのを、後家さんは充分に聞き取れないほどせき込んで、
「幾人って、あなた……」
鸚鵡返《おうむがえ》しに、
「そう幾度も悪いことができるものですか……わたしは、それでも今は度胸がすっかりすわりましたよ……ですから先生、自分に覚えがあるものですから、人を見れば直ぐにわかりますのよ……この人は人を殺したことがあるかないか、心の底がちゃあんと、わたしには読めるようになりました。ここまで申し上げたら、あなたも、懺悔話《ざんげばなし》をして下すってもいいでしょう」
ここに至って、後家さんの腹がおちついて来たらしく、言葉が浮いて来て、
「それで、そういう人と見ると、わたしはなんだか、自分の味方を見つけでもしたように、無性《むしょう》にたのもしくなってしまって……なんでもかでも、すっかりぶちまけて、その人にやってしまいたいような気になるのですね、おかしいでしょう」
道はようやく沼を離れてしまって、林の中深く入って行くようです。
「先生、わたしにばかり白状させてしまっては罪ですよ、懺悔話をお聞かせください、ぜひ、どうぞ」
度胸がおちついたとはいうものの、手ごたえがないので、不安が不安を追っかけるように、後家さんは竜之助に促《うなが》しました。
けれども、何としてか、竜之助は答えることなしに、少し歩みを早めて、ずんずんと後家さんより先に立って木立の中深く進んで行くものですから、後家さんは、肪《あぶら》ぎった大きな身体《からだ》をそれに引きずられるように、追いすがるように歩いて、
「あんまり奥へおいでになってはいけません……お池の方へ戻りましょうよ」
その時、沼のあなたに当って、谺《こだま》を返す一つの呼び声がありました、
「お内儀《かみ》さん――お内儀さん、どちらへおいでになりました」
それは林を隔て、沼を隔てて呼ぶ浅吉の声にまぎれもありません。
この声を聞くと後家さんが、いまいましそうな、また、いつになく怖ろしそうな顔になって、声のする方へ向き直ったけれども、そちらへ足をめぐらそうとはしません。
机竜之助もまた、その時、ずんずんと進んでいた足をとどめて立っていると、
「お内儀《かみ》さん――お内儀さん、お迎えに参りましたよ、お一人歩きをなさると、お危のうございますよ」
甲《かん》に高い浅吉の呼び声は、感情もまたたかぶって、沼のほとりを、
前へ
次へ
全161ページ中141ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング