あちらこちらとさがし廻っている様子が、なんとしても穏かには響きません。
「お内儀さあ――ん……」
 聞いていると、どこまでも嫉《ねた》みを持ってものを追い求める声です。
「ねえ、先生……」
 後家さんは、半ば恐怖の色を以て、竜之助にすがるように、
「あれは、うちの浅公ですよ……御存じでしょう、わたしの雇人ですが、このごろ、どうしたものか、わたしを恨んでいます……恨んではいるけれども、口に出しても、手に出しても、何もすることはできない意気地なしなんですが、ああいう意気地なしが思いつめると、また何をしでかすかわかったものではありません……この間の晩も……」
といって、後家さんの唇の色が変って、舌がもつれました。
「ねえ、先生、この間の晩、夜中に、どうも変ですから、ふいに眼がさめて見ますとね、あの野郎がわたしのこの咽喉《のど》をおさえて、こうして……わたしを絞めようとしていたんですね、吃驚《びっくり》して、起き直って、わたしが、とっちめてやりますと、泣いてあやまりましたが、あんなのがかえって怖いのかも知れません。ですから、先生、ぜひ、あの護身の手を一つ教えておいてくださいまし、もし、不意に咽喉でも絞めに来るとか、また刃物でも持って向って来た時には……」
 後家さんが、再び、護身の手のことをいい出した時、竜之助はその左の腕を後家さんの背後から伸ばして、その襟《えり》を取ってグッと絞め、
「左様、後ろから絞められた時は……」
 不意でしたから後家さんが、よろよろとよろけかかりました。
 不意のことでしたから、後家さんも仰天《ぎょうてん》して、よろよろよろけかかるのを竜之助は、
「もし、これを強く絞めようと思えば、こう親指を深く入れて、べつだん力を入れずにグッと引きさえすれば……動けば動くほど深くしまるばかりだ」
と言いながら、後ろから腕を深く入れると、後家さんは、
「あ、あ」
といって息を吹くばかりで口が利《き》けません。後家さんの聞こうとするのは、深く絞める仕方ではなく、絞められた時に、振りほどく手段なのです。ですから、いったんしめた手をゆるめて、その解《と》き方を示すべき時に、竜之助は、無意味にその手をゆるめられなくなりました。
 この男には、かりそめの絆《ほだし》が、猛然たる本能を呼び起すことは珍しくないので、活殺の力をわが手に納めた時に、それを無条件でつっぱなしきれな
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