しく頼みますぞ」
「畏《かしこ》まりました、早速、そのつもりで明日からでも、恰好《かっこう》なところを探しにかかりましょう。それと、お大尽様、くどいようでございますが、あなた様にもぜひひとつ、今度の興行を見ていただきとうございます」
「いいや、わしがような山家者《やまがもの》、それにこう頭が古くなっては、根っから新しいものを見て楽しもうと思いませぬ」
「それでも、せっかくでございますから」
「まあ、勘弁して下さい、これが、わしの性分なのだから」
「ほんとうに残念でございます」
肝腎《かんじん》の金主元が、事業の出来栄えを見てくれないのをお角は残念がると、伊太夫は、
「そういうわけだから、悪く取って下さるな。それから、この金は、せっかくのこと故、わしが一旦は受納を致したことにして、改めてお前さんの方へお廻しをしたいのじゃ、この後の分ともに、それを、今お頼みした娘の方のかかりに廻してもらいたいのじゃ。娘へ手渡しをしても受取るまい、受取ったところでうまく処分ができ兼ねるだろうから、そこはお前さんが預かっておいて、都合よくやってもらいたいのじゃ。なお、国許《くにもと》から月々なり、或いは相当の時分に為替《かわせ》を組んでよこすか、または人を遣《つか》わす故、何かについて不足があらば申し越してもらいたい……証文? 左様なものは要らぬ。わしはこれで、いったん人を信用すると、最後までしたい方の人間でね、肌合いは違うけれども、お前さんなら大丈夫だと、まあ見込んでお頼みをしているわけなのだ。それに第一、娘というものが、この上もない生きた証文ではないか」
お角はこの時、さすが大家の主人だけあると思いました。
六
そのお角の留守中、裏両国のしもたや[#「しもたや」に傍点]へ、
「今晩は、御免下さいまし」
「どなたでございます」
「親方は、おいででございますか」
「どなたでございます」
「金助でございます……」
「金助さんですか」
娘分のお梅が駈け出すと同時に、格子戸をカラカラとあけて、
「え、金助でございますが、親方はお宅でございましょうな」
「まあ、お入りなさいまし、母さんは今留守ですけれど」
「エ、お留守ですって?」
「いいえ、留守でもかまいません、もし金助さんが見えたら、待たせておいて下さいといわれていましたから」
「左様でゲスか、左様ならば御免を蒙《こうむ》ると致しまして」
そこへ腰をかけて、草鞋《わらじ》を解きはじめたのは、金助というおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]で、今、旅の戻りと見える気取ったいでたち[#「いでたち」に傍点]です。
「草鞋ばきなんですか、ずいぶんお忙がしそうですね」
「どう致しやして、忙がしいのなんの……これも誰ゆえ、みんな忠義のためでございます」
くだらない軽口をいって草鞋|脚絆《きゃはん》を取っていると、お梅は早くも水を汲んで来て、
「金助さん、お洗足《すすぎ》」
「これはこれは、痛《いた》み入谷《いりや》の金盥《かなだらい》でございますな」
「さあ、お上りなさいまし、母さんはじきに帰って来るといいおいて出ましたから」
「左様でゲスか……いやどうも、これでわっしも性分でしてね、頼まれるといやといえないのみならず、身銭《みぜに》を切ってまで突留めるところは突留めないと、寝覚めの悪い性分でゲスから、随分、骨を折りましてな。それでも骨折り甲斐も、まんざらなかったという次第でもございませんから、取る物も取りあえずにこうして伺ったわけなんですよ」
「御苦労さまでしたね」
「早速御注進と出かけて見れば、頼うだお方はお留守……少々|業《ごう》が煮えないでもございませんが、お梅ちゃんからこうしてお茶を頂いたり、お菓子をいただいたり、御苦労さまなんていわれてみると、悪い気持もしませんのさ」
「ほんとうに、お気の毒でしたね。でも母さんが、もう帰って来ますから、なんならお風呂にでもおいでなすったら、いかがです」
「そのこと、そのこと、よいところへお気がつかれました、旅の疲れは風呂に限ったものでゲス。では、ひとつ、御免を蒙って……」
「金助さん、お召替えをなさいましな」
「お召替え? それには及びませんよ」
「まあ、そうおっしゃらずに」
「どうも恐縮でゲス。おやおや、昔模様謎染《むかしもようなぞぞめ》の新形浴衣《しんがたゆかた》とおいでなすったね。こんなのを肌につけると、金助身に余って身体《からだ》が溶《と》けっちまいます。すべて銭湯に五常の道あり、男湯|孤《こ》ならず、女湯必ず隣りにあり、男女風呂を同じうせず、夫婦別ありといってね……」
このおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]が歯の浮くような空口《からぐち》をはたいて、しきりにそわそわしているのは、この家としては近ごろ異例の待遇で、本来ここの住居《すまい》は、お角のためには隠れたる休養所で、懇意な人でも滅多には寄せつけないのに、このおっちょこちょい[#「おっちょこちょい」に傍点]に限って、少々もてなされ過ぎている。
浴衣《ゆかた》を着せられて、七ツ道具を持たせられ、有頂天《うちょうてん》で、金助は風呂へ出かけようとすると、
「梅ちゃん、梅ちゃん」
この時、二階で人の声。
「はい」
お梅が返事をして二階を見上げると、金助も変な面《かお》をして、出かけた二の足を踏む。
「ちょっと来て下さい」
二階でお梅を呼ぶのはお銀様の声です。
「金助さん、お嬢様が、ぜひお前さんに会いたいんですとさ、お湯へおいでなさる前に」
「え、お嬢様が、わっしに御用とおっしゃるんですか」
二階から下りて来たお梅は、風呂へ行こうとして下駄を突っかけている金助の袖をとらえました。
そこで金助は怖々《こわごわ》と引返して、二階を見上げ、
「よろしうございます、お嬢様だって、なにもあっしを取って食おうとおっしゃるわけでもござんすまい」
七ツ道具を下へ置いて、浴衣へ羽織を引っかけたままで、恐る恐る二階へのぼりはじめました。
「御免下さいまし、お嬢様」
「金助さん」
「はい、金助でございます」
「どうぞ、ここへお上りください、お前さんにぜひお聞き申したいことがあります」
「御免を蒙《こうむ》りまして」
「御遠慮なく」
金助は、全く怖る怖る二階の間へ通り、キチンと跪《かしこ》まって、恐れ入った形をしていると、いつもの通りお高祖頭巾《こそずきん》をすっぽりとかぶ[#「かぶ」に傍点]ったお銀様は、行燈《あんどん》の光に面《おもて》をそむけて、
「もう、少しこちらへお寄り下さい」
「ええ、ここで結構でございます」
勧める蒲団《ふとん》も敷かずに金助は恐れ入っている。
「金助さん、お前は、お角さんから頼まれたことがあるでしょう」
「ええ、あるにはありますがね……」
「あれは、わたしからお角さんに頼んだことなんですから、それを隠さずに、わたしに話して下さい」
「左様でございますか。いや、薄々《うすうす》その儀は承って出かけましたんですが、一応はここの親方の方へ申し上げまして、親方の口から改めてあなた様のお耳へ入れるのが順かと、こう思いましたものですから」
「いいえ、それには及びませぬ、かまいませんから隠さずに話して下さい。お前さんが帰ったら、これを差上げようと思っていました、ほんの少しばかりですけれど」
といってお銀様は手文庫の中から、事実金助の前には少しばかりではない金包を取り出して、奉書の紙に載せて無雑作《むぞうさ》に金助の前に置いたものです。それを見ると、金助が、いたく狼狽《ろうばい》をして、眼の色が忙しく動き出し、
「そんなことをしていただいちゃ申しわけがございません、旅費のところもお角さんの手から、たっぷりといただいてあるんでございますから、その上こんなことをしていただいちゃ恐れ入ります。しかし、お嬢様、金助も頼まれますと、無暗に肌を脱ぎたがる男でございましてね、自慢じゃございませんが、事と次第によっては、目から鼻へ抜ける性質《たち》なんでございますよ。今度のことなんぞも、お角さんから頼まれますと、早速、当りをつけたのが、まあ、聞いていただきやしょう、とても、そりゃその道で多年苦労をした目明《めあか》しの親分|跣足《はだし》ですね、全く予想外のところへ目をつけて、そこから手繰《たぐ》りを入れたところなんぞは、我ながら大出来、ここの親方にも充分買っていただくつもりで、寄り道もせずにこうして駈け込んで来たような次第なんでございます……エエ、その頼まれました御本人の行方《ゆくえ》、それをそのまま探していたんでは、なかなか埒《らち》の明かない事情がありますから、まずこういう具合に……エエと、この街道を琵琶を弾《ひ》いて流して歩いたお喋《しゃべ》りの盲法師《めくらほうし》を見かけたお方はございませんか、こういって尋ねて歩いたのが、つまり成功の元なんですね。将を射るには馬を射るという筆法が当ったんで。つまりそれでとうとう甲州街道の上野原というところで、めざす相手を射留めたという次第でございます……」
金助は、膝を金包に近いところまで乗り出して、得意になってべらべらとやり出しました。
金助のべらべらやり出した潮時《しおどき》を、お銀様も利用することを忘れませんでした。
「そうして、甲州の上野原のどこで、その盲法師を見つけました」
「それがその……」
金助は、いよいよ得意になって、顔を一つ撫で廻し、
「府中の六所明神様でひっかかりを得ましたものですから、それからそれと糸をたぐって、とうとう甲州の上野原で突留めました。上野原は報福寺、一名を月見寺と申しましてな、お宗旨《しゅうし》は曹洞、かなりの大きなお寺でございます……そこに、一件のお喋りの盲法師が逗留していることを突留めましたものですから、もうこっちのものだと小躍《こおど》りをして、早速お寺を尋ねましてな、例の盲法師にも会いまして、それとなく探りを入れてみましたところが……」
ここまで調子に乗って来た金助が、急に遠慮をはじめたものですから、お銀様が、
「知っています、その盲法師は、わたしもよく知っています。なんといいました」
「いやどうも、よく喋る坊さんで、まず自分の身の上の安房《あわ》の国、清澄山からはじめて、一代記を立てつづけに喋り出されたものですから、さすがの金助も面食《めんくら》いの、立てつづけに喋りまくられてしまいました。が、結局、要領のところは得たような得ないような……つまり、尋ねるお方は、つい二三日前に、この寺をお立ちになってしまいました」
「二三日前まで、そのお寺にいたのですか。そのお寺にいた人が、どこへ、誰に連れられて行きましたか」
「それがそれ……」
金助の言葉が、さいぜんの得意にひきかえて、肝腎《かんじん》のところへ来て渋《しぶ》るので、お銀様も癇《かん》にこたえたと見え、
「金助さん、お前は、その坊さんを尋ねに行ったのではないのでしょう」
「いかさま……そこで結局その要領が申し上げにくいことになってしまったんで……エエと、二三日前まで、そのお寺に御逗留になっていたことは確かで、そこをお立ちになったことも確かなんでございますが、どうも、そのどこへ、誰に連れられて行きましたか、つまりその行方が……」
いよいよしどろもどろなのは、この男のことだから、ワザと焦《じ》らすつもりかも知れない。お銀様は気色《けしき》ばんで、
「そこまで尋ね当てて、どうして、その先がわからないのです、役に立たない……」
「いいえ、どう致しまして」
お銀様から威嚇《いかく》されて、金助はワザとらしい恐縮を見せ、
「それから先を、どう鎌をかけても、坊さんは、ハッキリと言ってくれませんから、あきらめて門前の爺さんをつかまえて、口うらを引いてみましたところが、その返事で、またまたこんがらがってしまいました。と申しますのは、その前後に、お寺を出て旅立ちをしたものが二人ありますんだそうで、一人はハッコツへ、一人はコブシへ参りましたとやら。さて、その二人のうちいずれが、あなた様の尋ねるお方だか、それから先
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