「それは地の利を計らなければ……先年、大楽《おおらく》源太郎と、地の利ではない、火の利を見て歩いたが、彼奴《きゃつ》、人の聞く前をも憚《はばか》らず、今夜はここから火を放《つ》けてやろうと、大声で噪《さわ》がれたのには弱った」
「あれは、そそっか[#「そそっか」に傍点]しい男だが、感心に詩吟が旨《うま》かった」
「どうだ、ひとつ放《つ》けてみようか」
「しかし、つまらん、江戸城の本丸まで届く火でなければ、放《つ》けても放け甲斐がごわせぬ、徒《いたず》らに町人泣かせの火は、放けても放け甲斐がないのみならず、有害無益の火じゃ」
「有害無益の火――世に無害有益の放火《つけび》というのもあるまいが」
「では、通りがかりの道草に、いたずらをしてみようか」
「地の利と、風の方向を考え、且つ、なるべくは貧民の住居に遠く、富豪の軒を並べたところをえらんで……」
「面白かろう」
さても物騒千万ないたずらごと。この四人の壮士が傍若無人《ぼうじゃくぶじん》に試みた火つけの相談は、冗談ではなくて本当でありました。それからまもなく、風が強くなるに乗じて、この連中の行手にあたって、日本橋の呉服町のある町家の軒から火の手があがって大騒ぎとなりましたが、それは発見されることが早くて、まもなく揉み消したかと思うと、山下町あたりのある旗本屋敷が、またしても、それ火事よと騒ぎ立てて、これはほとんど大事となり、一軒を丸焼けにしておさまりました。
次に、やや時間を置いて芝口のある商家、これも大事に至らず消し止めましたが、それから程経て、神明の前の火の見櫓が焼け出したのは皮肉千万であります。
筋を引いて見れば、ちょうどこの四人の壮士の過ぐるところ、四カ所で火が起ったわけです。これはまた途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]で、いやしくも武夫《もののふ》の姿をした者共の為すべからざる、いたずら[#「いたずら」に傍点]であるに拘らず、このいたずら[#「いたずら」に傍点]は、誰にも発見されず、その残したいたずら[#「いたずら」に傍点]の脱け殻だけが人騒がせをして、当の本人たちは悠々として芝の三田の四国町まで来ると、そこに薩摩、大隅、日向三国主、兼ねて琉球国を領する鹿児島の城主、七拾七万八百石の島津家の門内へ乗込もうとする。音に聞く島津の家の門番は、この途方もないいたずら[#「いたずら」に傍点]者を、どう処分するかと見れば、案外にも易々《やすやす》と表門を素通りさせて、彼等をこの屋敷の中に吸い込んでしまいました。
しかし薩摩の士の風俗をしているからとて、必ず薩摩のさむらい[#「さむらい」に傍点]だと限ったわけはありますまい。この薩州屋敷では、このごろ、ずいぶん人見知りをしないで人を入れる。
まず玄関には非常に大きな帳簿が備えてあります。それの巻頭には誰の筆とも知らず、達筆に尊王攘夷《そんのうじょうい》の主意が認《したた》められてあって、その主意に賛成の者は来るを拒まず、ということになっている。諸国の尊王攘夷の志士は、肩を聳《そび》やかし、踵《きびす》をついで、集まり来って、この帳簿へ記名誓約をする。紹介者あって来るものもあれば、自身直接に来るものもある。薩州邸ではそのいずれでも拒むということをしない。
五百人内外の人は、いつでも転がっているが、これらの食客連の日中の仕事は、武芸をやること、馬に乗ること、感心に読書学問をやっている者。為すことも気儘勝手《きままかって》、出入りも自由。けれどもその自由放任が、ある時は、無制限になって、ここから夜な夜な市中へ向けてきりとり強盗に出かけたものまでが黙認される。
火放《ひつ》け強盗はおろかなこと、この屋敷から或る時は甲州へ向けて一手の人数が繰出される。或る時は下総、或る時は野州あたりへ繰出して、そこで大仕掛な一揆《いっき》の陰謀が持ち上る。
その主謀者の方針は、江戸の市中はなんといっても相応に警戒が届いている。ことにこのごろ、募集した歩兵隊――一名|茶袋《ちゃぶくろ》は烏合《うごう》の寄せ集めで、市民をいやがらせながらも、ともかくも新式の武器を持って、新式の調練を受けているから、それを相手には仕事がしにくい。近国へ手を廻して騒がせておけば、自然お膝元の歩兵隊が繰出す。その空虚に乗じて江戸の城下へ火をつけ、富豪の金穀を奪うて、大事を挙げる時の準備にしようという方針らしい。
斯様《かよう》な方針を立てている主謀者は何者か。どうかすると西郷吉之助の名前が出ることもあるが、西郷はここにいないで、益満《ますみつ》休之助と伊牟田《いむだ》なにがし[#「なにがし」に傍点]と小島なにがし[#「なにがし」に傍点]と、このあたりが主謀者ということである。
益満は長沼流の撃剣家で、山岡鉄太郎などとも懇意であり、この益満の後ろに西郷がいて糸を引いているという説もあるが、益満それ自身もただ糸を引かれている人形ではあるまい。
さいぜん、大手を振って門内に通過した四人の壮士、この席へ来ても無遠慮に一座の中へ、むんずと坐り込み、まず見て来たところの西洋の大魔術の披露、普通弁と薩摩弁でしかたばなしまでしての土産話《みやげばなし》は無難であったが、無難でないのはそれに続く自慢話であります。
この四人の壮士どもは、今しも、大得意になって、本所の相生町から三田の四国町までの間の彼等の道草、その途方もない、いたずら[#「いたずら」に傍点]話を憚《はばか》る色なく並べ立てたことです。四カ所に放火して、ある所は大事に至らしめ、ある所は小事で終らしめたが、ともかくも人心を騒がして来たことを手柄顔に説明すると、それを興ありげに聞いていたものと、不足顔に聞いていた者とあって、
「ナーンだ、くだらぬ人騒がせ、つまらぬいたずら[#「いたずら」に傍点]、そうして下《した》っ端《ぱ》をおどかしてみたところが何だ。トテモやるなら、あの将軍の本丸まで届くほどの火を出せ。本丸から火を出して、グラついた江戸城の礎《いしずえ》を立て直すほどの火を出してみろ。小盗賊のやるようないたずら[#「いたずら」に傍点]はよせ」
と言ったものがあると、四人のなかの一人が抜からず、
「いずれそれをやって見せるが、今はその手習いじゃ」
そこで、この一座の対話が、江戸城の本丸へ火を放《つ》ける、その実際の手段方法にまで進んで行ったのは怖るべきことです。この怖るべき相談が事実となって現われたのも、それから幾らも経たない後のことであります。それから彼等の巣窟たるこの四国町の薩摩屋敷が焼打ちになって、江戸を追われたことも、いくらもたたない後のことであります。
五
それはそれとして、再び前に戻って、ここにまだ疑問として残されているのが、両国の女軽業の親方お角の、このたびの、旗揚げの金主となり、黒幕となった者の誰であるかということで、これはその道の者の専《もっぱ》らの評判となり、またお角の知っている限りの人では、これを問題にせぬ者はなかったが、誰もその根拠を確《しか》と突留めたものがありません。
神尾主膳や、福村一派の現在は到底、逆《さか》さにふる[#「ふる」に傍点]っても融通がつこうはずはなし、以前、柳橋に逗留《とうりゅう》していた時代の駒井甚三郎のところへは、お角はしげしげ出入りして、あの当座、多少の融通黙会《ゆうずうもっかい》はあったかも知れないが、今の他人行儀を見れば、このたびの興行に駒井の力は加わっていなかったことは、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵といえども疑う余地はないところであります。
高利の金を借りた場合には、玄人筋《くろうとすじ》は当人の手にその金が入るより先に、その噂を受取るに違いないが、さっぱりそのことがない。
だから、玄人《くろうと》は興行の腕よりも、お角の金策の腕に舌を捲いている。
初日の評判を後にして、その日いっぱいの上り高のしめくくりをしたお角は、払い渡すべきものは即座に払い渡し、大入袋の割振りまできびきびとやっつけて、残った金を両替にすると、それを恭《うやうや》しく紙に包んで男衆を呼びました。
「庄さん、ちょっとそこまで一緒に御苦労しておくれ」
やはり風の吹いた同じ日の晩。
一人の男衆を連れたお角は、両国橋の宿を立ち出でました。
その行先が疑問、それを突き留めさえすれば、金策の問題もおのずから氷釈するに違いありません。通俗に考えれば、これは、てっきり[#「てっきり」に傍点]、柳橋の遊船宿に駒井甚三郎を訪ねて出かけたものに相違ない――お角ほどの女が、その時分に息をはずませて柳橋を渡り渡りした時は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵をひとかたならず嫉《や》かせたものです。
ところが、今はこの通俗な予想も、まるっきり違って、お角が訪ねて行く足どりもおちついたもので、足を踏み入れたところは通人の通う柳橋ではなく、諸国のお客様の定宿《じょうやど》の多い馬喰町の通りであります。
そこで、一二といわれる大城屋良助の前へ来ると、お角は丁寧に宿の者に申し入れました、
「有野村のお大尽様《だいじんさま》に、両国橋から参りましたとお伝え下さいまし」
「はい、畏《かしこ》まりました」
ほどなく、お角は男衆の手から包みを取って、案内につれて通る。男衆は店頭《みせさき》に腰をかけて待っている。
お角の通された一間、そこには丸頭巾をかぶったお金持らしい老人が一人、眼鏡をかけてしきりに本を読んでいる。そこへお角が通されて、
「お大尽様、お邪魔に上りました」
「おお、お角どの、まあずっとこれへお入りなさい」
といって老人は本を伏せ、眼鏡を外《はず》して、座をすすめると、お角はしおらしく、
「御免下さいまし」
座へ通って再び老人に頭を下げ、
「おかげさまで、すっかり当ってしまいました。これで、わたしの胸も、すっかり透いてしまいました。就きましては早速、心ばかりのお初穂《はつほ》を差上げまするつもりで……」
といって風呂敷を解きかけたその中は、確かにお金の包みであります。
いわゆるお大尽の前へ、お金の包みを積み上げますと、お大尽は、莞爾《にっこり》と笑い、
「いやもう、それはお固いことだ、娘もああしてお世話になっているし、そう急ぐというつもりもないのだが、せっかくだから……」
ここで初めてお角の金主元が知れた次第です。つまりお角は、このお大尽から金を引き出している。しからばこのお大尽なるものは何者。
王朝時代からの旧家といわれた甲州有野村の長者藤原家、その当主の伊太夫。それがすなわちこのお大尽で、ただいま、お角の家に厄介になっているお銀様のまことの父がこの人であります。
さればこそ、測り知られぬ山と、田と、畑と、祖先以来の金銀と、比類のない馬の数を持っているこの富豪をつかまえたことが、興行界の玄人筋《くろうとすじ》の機敏な目先にも見抜き切れなかったことになる。
大尽は、金の包みを前に置いたままで、
「どうだね、お角さん、あれはどうしても帰るとはいいませんか」
「そればっかりはいけません、いくら申し上げましても……」
「そうだろう、どうも仕方がない。よし帰るといってもらったところで、また難儀じゃ。いっそのこと、どこまでもお前さんに面倒を見てもらいたいと、わしは思っているのだが」
「どう致しまして、わたくしなんぞは御面倒を見ていただけばといって、お力になれるわけのものではございません」
「いや、あの通りの我儘者《わがままもの》だから、お前さんのような、しっかり[#「しっかり」に傍点]した者が付いていてくれると、わしも安心じゃ」
「痛み入ったお言葉でございます、そのお言葉だけを勿体《もったい》なく頂戴して、一生の宝に致したいと存じます」
「そういうわけだから、ドコかしかるべき地面家作のようなものがあったら、ひとつお世話をしていただきたい、あれの暮して行けるだけのことはしておいて帰りたいと思いますからね」
「そうしてお上げ申した方がお嬢様のお為めならば、ずいぶん御周旋を致しましょう」
「無論、その方があれのためになる、それでは万事よろ
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