男の髪の毛が、上へ向いて来たのを認めます。その時、長老が出て肩をたたき、
「まあ、さのみ憤《いきどお》りたもうな、天下に憤るべきことは多いのに、僅かこの一小事……」
となだめにかかったのを、右の男はききません。
「いや、世には大事に似たる小事もある、小事に似たる大事もある、斯様《かよう》なことは一小事ではござらぬ……利益のために己《おの》が山をこわす輩《やから》は、利益のためには己が国をも売る輩でござる。昔は天津橋上《てんしんきょうじょう》に杜鵑《とけん》の啼《な》いたのを以て、天下の変を知ったものがあるではないか。お膝元から僅か十五里のところで、無残にも霊山を食い物にしている、それを抑えることができない……」
 ここに至ると、神楽師《かぐらし》の仮面は、遠慮なく剥落《はくらく》してしまい、
「モシ、われわれが天下を取った暁には、廃仏毀釈《はいぶつきしゃく》を断行する」
とさけびました。
 この男は仏教そのものも多少は知っているし、また仏教そのものが日本の文明に寄与した功績も多少心得ているらしいが、現在の仏寺と、僧侶の腐敗をもかねて、大いに憤慨していたものらしい。これよりいくらもたたない後に現われた維新の政府が、かなり無遠慮に廃仏毀釈を実行したのも、一部分の責めは坊主が負わなければなりますまい。七兵衛はその時、おだやかにこういいました。
「左様でございますね、モシ、山師共がお山を食い物にしようとかかりましても、宮方のお役人と、お山の坊さんとは、よくそれを教えさとして、思いとどまらせるようにしなければならぬはずのものだと私共も思います」
 切り散らし、掘《ほ》っくりかえしている事の体《てい》を見て、一同のものが白け渡りました。
 その時、高尾山の麓《ふもと》の茶屋では、半ぺん坊主が一杯飲みながら、
「占《し》め占め、こう来なくっちゃならねえ」
といって、さも嬉しそうに、山を掘り崩しているところをながめては、半ぺんを肴《さかな》に、頻《しき》りに盃を傾けておりました。
 半ぺん坊主は、京都あたりから来た風来坊主で、高尾の寺に籍があるわけでもなんでもないが、この近所へ草庵ようのものを構えて、ぶらぶらと暮らしている。
 半ぺんが大好きで、半ぺんを肴に、酒を飲ませさえすれば上機嫌で、何でも喋《しゃべ》り出す。そこで半ぺん坊主で通って、誰も本名を知るものがありません。
「さあ、いよいよ望みがかなって、近いうちにこの上まで車が、カラカラッと勢いよく舞い上るから見ていてごらんなさい、景気よく、カラカラッと上るところをごろうじろ……」
といって、ブクブク肥った身体《からだ》を一つゆすり[#「ゆすり」に傍点]、
「カラカラカラッと景気よく……」
 半ぺん坊主は山をくずして、近いうちに車がしかかるのが嬉しくてたまらないらしい。
「この間はまた、伐り倒した大木を、機械鋸《きかいのこ》にかけてキリキリキリッと音を立てさせていたが、あの音がまた甚だ結構……ああいうのを聞いて飲むと、酒がひとしお旨《うま》く飲める……」
といって、うまそうに一杯飲む。
 この坊主の理窟によると、昔の名僧智識が、わざわざ寺を山の上へ持っていったのは昔のことで、今の宗教は、なるべく民衆と接近しなければいけない、それをするには、どんな霊域でもカラカラカラと車を仕掛けるに限る、という持論から、今度などもずいぶん運動に骨を折りました。
 そこへ二三人の人夫が、立札を荷《にな》ってくる。
「御苦労、御苦労」
 半ぺん坊主が、こちらからねぎらう[#「ねぎらう」に傍点]と、人夫はちょっと笑っただけで、土を掘って立札を立てにかかる。
 その立札には、「杉苗何百本、何千本、何の誰」と一枚一枚に書いてある。
「は、は、は、は」
 半ぺん坊主は、思い出したように高らかに笑い出し、
「高尾では、あの杉苗をいったいドコへ植えるんだと、この間、まじめに聞かれたんで、わしも弱ったよ」
 杉苗寄進の立札が、半ぺん坊主には、なんだか急におかしくなったものと思われる。
 この山では、何町の間、隙間もなく、杉苗寄進の札を立ててはあるが、ドコへその杉苗を植えるのだか一向わかっていない。
「お愛嬌《あいきょう》ですよ。あれをお前さん、正直に受取った日には、一年に関東八州が三ツあったって足りやしませんよ……植える方はどうでもいいが、切る方はせいぜい切らしていただいて……」
 半ぺん坊主は、額を丁と叩きました。
「切る方はせいぜい切らしていただいて、カラカラカラッと景気よく……ナニ、一木一草をも愛護して下さいだって、木を傷つける人があったら止めて下さいだって……笑いごとじゃありませんよ、木を伐らないで車が仕掛りますか」
 半ぺん坊主はこの時、腰衣《こしごろも》の上へ酒をこぼしたので、あわててそれを拭い、
「もっとも、これについては、かれこれと、やかましくいう奴もあるにはあったが、わしが行ってお役人を口説《くど》いて来ると、ああ、いいともいいとも、こっちを伐っていけなければあっちをお伐り、それでいけなければこっちをお伐り、いいとも、いいとも……で話が忽《たちま》ちに出来上ってしまったのさ」
 半ぺん坊主が得意になっているところへ、例の神楽師の一行と七兵衛とが通りかかったので、坊主は酔眼をみはって、その一行をながめ、
「公儀お鷹匠《たかじょう》のような奴が通らあ、いや[#「いや」に傍点]にギスギスしてやがらあ」
といって半ぺん坊主は、半ぺんの残りを、さも旨《うま》そうに食べました。

         二十五

 高尾山ではこうして、山を崩したり、木を伐ったりして嬉しがっている一方、武州の御岳山の下では、水車番の与八がしきりに木を植えておりました。
 与八は、「木を植えるのは徳を植えるなり」という理窟を知らない。ただ土地が明《あ》いていては勿体《もったい》ないから植えておこうという心がけで、木を植えて山を青くするそのことが楽しみなので。また何本植えて、何年たって、いくらに売れるということも知らない。植える傍から植えたことを忘れてしまって、育てることだけは忘れない。
 木を育てることの好きな与八は、また人の子供を育てることが大好きです。郁太郎《いくたろう》を育ててみると、その苦しみのうちに、いうにいわれぬ楽しみがあって、子供というものはほんとうに可愛いものだと身に沁《し》みています。与八が、ほんとうに子供を可愛がるものですから、子供たちもまた、与八に懐《なつ》くことは大変なもので、いつも、与八の仕事をする周囲には、五人十人の子供が集まっていないということはありません。
 郁太郎も、今では乳《ち》ばなれもしたし、人に預けなくても、遊びに来る子供が守《もり》をしてくれるから、自分の仕事もよく手が廻ります。仕事の合間、与八は海蔵寺の東妙和尚について、和讃《わさん》だの、経文《きょうもん》の初歩だのというものを教わります。それと共に、東妙和尚の手ずさみ[#「ずさみ」に傍点]をみよう見真似《みまね》で彫刻をはじめました。そこで、与八は学問の初歩と、美術の初歩というものにようやく興味を覚えてきました。
 この興味は、与八をして教育の世界に、一つの驚異を見出させたようです。自ら教ゆる間のみが人を教ゆることができる。与八のこのごろは、熱心なる学問好きになっているところから、自分の周囲に群がる子供たちを見ると、どうもこのままでは置けないという気になって仕方がありません。見るところ、これらの子供たちは、自分の過去と同じように、なんらの教育を受けることも、受けさせる設備も出来てはいないようだ、どうかしてこの子供たちのために、寺小屋様のものを設けて、自分も共に学びたいものだと痛切に思いつきました。
 そうかといって、自分には今それをする余裕もなければ、学問の力もない。そういう時に与八が、いつも思い出すのはお松のことであります。
「お松さんが来てくれればいいな」
と与八は、いつもそれを思い出すのですけれども、それはトテモ出来ない相談だと思いかえすのが常でありました。
 ところが先日、相生町の老女の屋敷に久しぶりでお松をたずねてみたところが、お松もまた、思いがけない一人の子持ちとなっていて、おたがいに力を合わせて子供を育ててゆきたいというような話をしたことから、与八はその話を進めて、お松をここに呼び迎えてみたいと気が進みました。
 ある日、与八は水車小屋から程遠からぬ主人の屋敷へ出向いて、ふと、物置同様になっている剣術の道場の前に立ちました。
 机の家の屋敷は、定まる当主とてもありませんから、すべてにおいて、与八が監理人のようなものであります。親類の人が時々来ては見て行きはしますけれども、小さな城廓《じょうかく》ほどもある屋敷を、ともかく、これだけに手入れをしているのは、与八の働きといわねばなりません。
 そこで与八が、剣術の道場の前に立って考えたのは、ひとしきり、この道場から、甲源一刀流の、音無しの構えなるものが起って、幾多の剣士を戦慄《せんりつ》させたという思い出でもありません。また、この道場から宇津木文之丞との争いが起って、それから黒い風が吹き、白い雨が降り出した今日までの一切の経過でもありません。その時代はもう過ぎてしまって、今、与八がこの道場の前に立った時、ふと思いついたのは、これを利用して、お松さんと共に、多くの子供をここへ集めて育ててみたいなという希望であります。
 与八が道場の庭を掃いていると、そこへ突然姿を現わした旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]。
「少々、物をたずねたいが、机竜之助の道場はこれか」
「左様でございます」
 与八は、箒《ほうき》をとどめて、さむらい[#「さむらい」に傍点]の問いに答えました。
「主人は留守か」
「はい」
「代稽古はいないか」
「おりませんでございます」
 そこで、旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は残り惜しげに道場のまわりをうろつい[#「うろつい」に傍点]ているから、
「まあ、お休みなさいまし、ただいまは誰もおりませんけれど、道場を御覧になるならば、あけてお見せ申しましょう」
と与八がいいますと、さむらい[#「さむらい」に傍点]はよろこばしげに、
「それは有難い、せっかくのことに道場の中を一見させてもらいたい」
 与八が裏の戸口から入って、道場をあけてやると、さむらい[#「さむらい」に傍点]は草鞋《わらじ》をとって、道場の内部へ入って来ました。
「ははあ、なかなか結構なものだ」
と道場の内部の整っていることを見て、旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は感嘆し、
「誰も代ってこの道場を預かるというものはないのか」
「どなたもございません」
「誰か、あの男の生立《おいた》ちを知っているものはないか」
「生立ちと申しますのは……」
「あの男の子供時代のことだ、いや、それよりも親の時代のことから……」
「左様でございます、みんなもう亡くなりましたね」
「あれの親がエラ[#「エラ」に傍点]物《ぶつ》であったというではないか。そうして酒を飲んだか」
 与八は、変な物のたずね方をするさむらい[#「さむらい」に傍点]だと思いました。横柄《おうへい》なのは仕方がないが、エラ[#「エラ」に傍点]物であったというではないか、そうして酒を飲んだか、という尋ね方は、おかしいと思いました。このさむらい[#「さむらい」に傍点]の尋ね方では、エラ[#「エラ」に傍点]物はキット酒を飲むもののようにきめているらしい。
「大先生《おおせんせい》もお若いうちは、少しは召上りになったようでございますが……」
と申しわけのようにいうと、さむらい[#「さむらい」に傍点]は、
「少しではあるまい、うん[#「うん」に傍点]と飲んだろう、飲む時は七升ぐらい飲んだろう……」
「え……」
 与八が、また返答に苦しみました。七升と相場をきめたのがおか[#「おか」に傍点]しいことです。六升飲んだか、七升飲んだか、そんなことは誰も知っているはずはない。知っているなら尋ねなくてもいいはずだ。
「それで竜之助はどうだ、これはあまりいけまい」
「え
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