るほど、境内を荒したり切売りしたりする。
 国として霊山を伐《き》ることをゆるしたり、神社や仏閣で、その境内に疵《きず》をつけたり、また個人としてその屋敷内を切売りするようになってはおしまいです。
「亡んだ国に、山の青い国はない」という真理を、七兵衛は、それとなく知っているわけなのです。
 そこで、坊へ着いた七兵衛は、案内に向ってこのことをたずねてみると、案内はかえって自慢らしく、
「おかげさまで、ああして木を伐り払って新しい道が開けますよ。あれが出来て車を仕掛けますと、女子供までのぼるのが楽になりますからな、そうなるとお山も繁昌致します、お寺も収入《みいり》が多くなるというわけで、トカク、近頃は金でございますね」
 七兵衛は、それを聞いて呆気《あっけ》にとられました。そうすると案内は得意になって、
「宮方《みやかた》のお役人も、よく話がわかるものですから、直ぐに許してくれます。一旦、木を伐ってずいぶん売って儲けましたが、そこが都合が悪いので、今度は少し遠くなりますがこっちの方へ廻しました。なあに、ここでいけなければ、また別なところを許してもらいますからね。おっつけ、あの切崩しが済みますと、じかに車がしかかりますから、あんた方の骨の折れるのも、もう一息のところでございますよ」
 そこで、七兵衛はいよいよ驚かされました。このくらいの山道は自分のような足の達者な者でなくとも、骨が折れるとは思われない。
 寺を繁昌させたいならば、山を傷物にしないで、お寺を市中へ卸したらよかろう。この連中にまかせておいては、しまいには山をどういうことにするかわからない。今のうち警告を与えておかなければならないと思いましたけれども、警告を与えたところで、どれだけ利《き》き目があるか、あやしいものだとも思いました。こんなことを考えながら、七兵衛は、その晩は高尾の坊へとまることになりましたが、そこで四五人づれの奇異なる相客《あいきゃく》と落合いました。七兵衛が、その連中にたずねてみると、その連中は上方《かみがた》から下る神楽師《かぐらし》だといっていましたから、そのつもりで話を合わせていると、七兵衛には、どうもこの連中が神楽師だとは受取れなくなりました。
 いったい、神楽師にも、いろいろの種類があるだろうから一概にはいえないはず。それでも禁裡《きんり》に由緒ある本格の神楽師ならば、こうして浮浪の大神楽《だいかぐら》みたように、軽々しくは通るまい。そうかといって、大神楽師にしては、この連中、品格があり過ぎる。家相山相を見ることに敏感な七兵衛は、また人相を見ることにも敏感なのは、商売柄ぜひもありません。

         二十四

 七兵衛はこの四五人連れの神楽師《かぐらし》を、只者ではないと睨《にら》みました。
 いずれも、黒い着物を着て、博多《はかた》の帯をしめたところは、あたりまえの旅芸人のようにも見えますが、少し話をしてみれば直ぐにわかることで、ことに七兵衛のように諸国を飛び歩いている者には、国々のなまり[#「なまり」に傍点]が、争われない符帳《ふちょう》です。
 そうかといって、めいめいの話を聞いていれば、やはり歌舞音曲に関することが多いので、この点は七兵衛も、ちょっと測り兼ねているところです。
「当山には、湯加僧正《ゆかそうじょう》という声明《しょうみょう》の上手がおられたげな」
と一座の長老がいう。
「湯加僧正は、このほど、京都の智積院《ちしゃくいん》へ帰られたそうな」
 その次のがいう。
「それは惜しいことを致したわい、僧正がおられたら、お目通りをして声明秘伝《しょうみょうひでん》を伺いたいものと思うていました」
「残念なこっちゃ」
 その話しぶりは、おのずから型に入っているが、それはこの連中だけで特にこしらえた型らしい。そういう型をこしらえたのは、つまり、おのおのの生れ国のなまり[#「なまり」に傍点]をゴマかすためだと、七兵衛が早くもかんづきました。
 しかのみならず、この連中、よく見れば見るほど生え抜きの神楽師ではない。神楽師でないと思って見直すと、町人にも、百姓にも、そのほかの遊芸人にも見えない。どうしてもさむらい[#「さむらい」に傍点]である。さむらい[#「さむらい」に傍点]だなと思って見ると、面《めん》ずれ[#「ずれ」に傍点]もあれば、竹刀《しない》ダコ[#「ダコ」に傍点]も見えるというわけで、七兵衛は、とうとうこの連中を、上方から神楽師に仮装して、江戸へ乗込むものだと鑑定をしてしまいました。
 そうしてみると、七兵衛のように、浪人たちの表裏をくぐって来た人間には、何の目的で、西から来て東へ下るのだか、おおよその見当をつけるに骨は折れません。
 そこで、ひとつ探りを入れてみる気になりました。
「あなた方は、お江戸は、ドチラまでおいでになりますか」
「はい、江戸は芝の三田四国町というところを、たずねてまいりますのじゃ」
「三田の四国町へおいでなさるのでございますか」
「四国町の薩摩さんのお屋敷へと、たずねてまいりたいと思いましてな」
「え、四国町の薩摩様……」
といって、七兵衛が、それからあと、「こいつは大変な代物《しろもの》だ」と口の中でいいました。
 その三田の四国町の薩摩屋敷は、今天下の風雲をねらうものの巣になっている。これを七兵衛はよく知っている。そこへ乗込もうという神楽師ならば、これは探りを入れるまでもない、金箔付《きんぱくつ》きの神楽師だと思いました。
 しかし、また、仮りにこうして姿をかえてまで江戸へ乗込もうという連中が、その行く先をアケスケに、薩摩屋敷だといってしまったのでは正直過ぎる。
 これは多分、自分が見る影もない百姓だから、この位は打明けてもさしつかえないとタカ[#「タカ」に傍点]をくくったのかも知れない。
 その晩、七兵衛がこれらの連中と枕を並べて寝た夜中に、ふと胸に浮んだことがあります。それはほかでもない、このごろ、この武蔵と、相模と、甲州方面の境で、夜な夜なしきりに怪しい神楽太鼓の響きがする――賑やかな囃子《はやし》を追うて行って見ると、その影を捉えることができない。七兵衛も、どうかするとそれにでっくわせたこともあるが、わざわざ尋ねてみようとも思わなかったが、この時ふと胸に浮んだのは、その怪しげな囃子の音こそ、これらの連中の仕業《しわざ》ではあるまいか、どうもそのような気がしてならぬ。
 無事にその夜が明けて、いざ立つという時に、七兵衛が、右の神楽師の連中に向って、私も江戸へ参りますから御一緒に、とさあらぬ体《てい》にいい出すと、神楽師の長老がジロリと七兵衛をながめ、
「何卒《どうぞ》御一緒に……して、お前さんの御商売は何ですか」
 商売は、と聞かれて、七兵衛はギクリとしましたけれど、
「ええ、近在の百姓でございますけれど、百姓が嫌いなもんですから、つい……」
と言いました。つい、どうしたのだか、それは自分ながらわかりません。
 事実、七兵衛は百姓が嫌いではないのです。どちらかといえば好きなのです。青空をいただいて、地上へ自分の労力の一切を尽し、実りを天の風雨に待って争わぬ仕事を、愉快なりとしています。それで自分もけっこう一人前の百姓をやるだけの腕は持っているのです。ですから、旅先で、二宮流の講義などを聞いていると、つい感心してしまって、自分も、どこか、広々とした野原へ出て開墾をして、そこに自由な新天地を開いたら、どのくらい愉快だろうと空想することもあるくらいですから、百姓が嫌いといったのをクス[#「クス」に傍点]ぐったく思います。
 さて、右の四五人連れの神楽師の旅装を見ると、笠をかぶり、脚絆《きゃはん》、甲掛《こうがけ》に両がけの荷物、ちょっとお鷹匠《たかじょう》といったようないでたち[#「いでたち」に傍点]ですけれども、脇差を一本しか差してはおりません。
 七兵衛は同行しながらも、この中のドレが親分だろうと鑑定を試みましたけれど、結局ドレが親分という様子もなく、ドレが子分だという関係もないようです。
 七兵衛は、またこの親分子分という関係がだいきらいなのです。親分子分というものは、侠客《きょうかく》とかバクチ[#「バクチ」に傍点]打ちとかいう社会にはなくてはならぬものだろうが、世の中が進歩すればするほど、それがなくなるべきはずだと信じているのです。
 親分と立てられたいために、ツマらないみえや犠牲を払い、子分はまた親分に養ってもらうために、無理をしてまで親分に箔《はく》をつけようとする。親分は無理をして子分をカバおうとする。子分は無理をして親分を立てようとする。そういうのを美談のように考えているのは大間違いで、その道によって長者と先輩は尊敬しなければならないが、親分子分の関係を作るのは愚の至りだと信じているのです。ですから、上方《かみがた》へ行って本願寺のお説教を立聞きした時も、ほかのところの有難味はよくわからなかったが、「親鸞《しんらん》は弟子一人も持たず候」といった一句に、ヒドク共鳴して、いわゆる御開山様なるものはエライと感心して帰ったことであります。
 ところで、この神楽師の一行は、親分子分の愚劣な関係を復習して、得意がっている連中ではなく、おのずから和して同ぜざるの見識があるように思われる。
 こうして七兵衛は、江戸へ行くまでの十五里の行程を、この連中の観察と研究とを題目として行くつもりで出かけますと、ほどなく例の木を伐《き》り払って、山を崩しているところまで来ました。
 ここへ来ると、一行がたちどまって、
「おお、木を伐っています」
「おお、山を崩しています」
といって眼を円くしてたちどまり、
「木を伐って何をするのだろう」
「山を崩して何をするのだろう」
 いずれも合点《がてん》のゆかない体《てい》ですから、七兵衛が、
「車を仕掛けるのだそうでございます」
「車を仕掛ける……車をしかけてどないにしなさるのじゃ」
「車を仕掛けて、上り下りの都合のよいように致すのだそうでございます」
「じゃというて、あたらこの美しい樹木を伐り倒し、整うた山を掘り崩し……」
「つまり、お金儲《かねもう》けのためでございます」
「お金儲けのためでなければ、こんなところへ車を仕掛ける理由《わけ》がわかりません」
「けしからん」
 一行のうちの、最も無口で、背が低くて、眉宇《びう》の精悍《せいかん》なのが、掘崩しの前のところまで進んで出ました。
「惜しいものです、大木を惜しげもなく伐り倒し、山の形を掘り崩し……」
 七兵衛がいいますと、右の男がまたしても一歩進み出して、
「けしからん」
 七兵衛は一歩しりぞいて、この男の挙動を見ました。この男は本当に憤《おこ》っているようですから、人間は本当に憤ると、生地《きじ》を隠すことができないはずだと見たからです。
 掘り崩した崖《がけ》の上まで進み出た右の一人は、
「一体、その必要もなきところへ、金儲けのための無用の工事を加えるというのは、俗界にあっても許すべからざることであるのに、身、僧侶にありながら、多年、その山の恵みに生きながら、それを切り崩して金儲けをもくろむ[#「もくろむ」に傍点]とは言語道断《ごんごどうだん》……一体、仏寺なるものが、その祖師の恩恵によって過分の待遇を受け、広大な領分を持ち、諸方の勧化《かんげ》を貪《むさぼ》りながら、なおそれにあきたらず、開山以来、尊重したその山の樹木を伐り、山を崩して、金儲けをしようとは何事だ」
 空谷《くうこく》の中に立って、この男がこう叫びました。七兵衛は、よくいってくれた、もっと何かいって下さいという感じがしていると、
「誰がこの樹木を伐ることを許したのだ、誰がこの山を切り崩すことを許したのだ。ナニ、宮方《みやかた》の役人が……宮方の役人とは寺社奉行のことか。ここは江戸を距《さ》ること僅かに十余里、お膝元も同様なところではないか、寺社奉行の威光がここまでも及ばないのか……ナニ、一旦、向うの方の材木を伐って売り払い、そこがいけないから、今度はこちらを切りくずしにかかったのだと、山を何と心得ている」
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