いい気持がするものではありません。
 自分を、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で置くことをゆるさなかった第一のものは、女房をもらいそこねたということで、第二は、持って生れたこの早い足のせい[#「せい」に傍点]であると、七兵衛はよくそれを呑込んでいる。あるいは第一のものが、第二のものより先に、自分の方向をあやまらせたのではないかとさえ思う。
 女房を持ちそこねたという第一の不運は、残された子供をすててしまったという第二の不運となり、その不運と不幸をなぐさめるために、持ち前の早足で、諸方へあそびに出てみたのが、第三の横道を教えてしまいました。
 人はその不能に溺《おぼ》れずして能に溺れる、とは、よく寺小屋の先生から聞いた言葉であるが、七兵衛もまたつくづくその真理であることを感ずる。
 自分の早足で歩いてみると、世間並みの歩き方が馬鹿に見えて仕方がない。これがそもそも、七兵衛の邪道を行く最初の慢心でありました。この早足を利用して、人間ののろま[#「のろま」に傍点]をねらうことに味を占めた七兵衛は、一歩一歩とその興味にハマリ込んで、今はぬきさしのならない玄人《くろうと》になってしまいました。
 しかし、なお一方に残された三分の聡明性は、よく、裏と表とを塗りかくして、いまだ誰人《たれびと》にも、そのボロを見せないだけの横着と、細心とを保っているのです。
 ですから、誰が見ても、表面はあたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で、百姓の合間にその早足を利用して、尋常茶飯《じんじょうさはん》の如く、京鎌倉までも出かけてくる余裕が、近隣の百姓たちを羨《うらや》ませておりました。その実、七兵衛の本心では、自分の能を羨ましく思う百姓たちの不能を、羨ましく思うことばかり多く、あたり[#「あたり」に傍点]前の水呑百姓で、コツコツと畑を打って、女房子供を食わせていって、一生を終ることができれば、これに越した幸福はあるまいと、今も草鞋《わらじ》をつくりながら、つくづくとそれを考えているところであります。
 十八史略までは素読《そどく》を授かった覚えのある七兵衛は、「我をして洛陽負郭二頃《らくようふかくにきょう》の田《でん》あらしめば、いずくんぞよく六国の相印《しょういん》を佩《お》びんや」という文句を聞いて、それはおれの家に二反の畑さえあれば、いまさら六国の相印を佩びて苦労するにもあたらなかったにと、嘆息したものだと解釈して、夜学の先生を狼狽《ろうばい》させたこともあるのです。
 事実、七兵衛にとっては、世間の人のすべてが欲しがる金銀財宝は、無条件で手に入れることもできるし、また世間の人の羨ましがる名所ゆさんも、気の向くままにやってのけられるのだが、自分としての幸福や愉快は、そこには得られないで、こうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓として藁《わら》を打っているところに、無上の平和と愉楽のあることを思えば、世間の見るところと、求めるところと、本心のそれとは、みな逆にいっているものだとしか思われないのであります。
 こうして七兵衛は、自分の早足を載せる草鞋をつくっている。雨は小やみなく降っている。近隣はいと静かで、裏の娘が織る機《はた》の音さえ、かえって物わびしい風情を添えるばかりです。
 その機の音を聞くと、七兵衛は、あの娘も年頃になったが、間違いのないうちに、早くよいところへ嫁《かたづ》けてやりたいものだと思いました。
 そうして七兵衛は、その昔、自分が青梅街道へ捨てた子供のことまで考え出して、いま、無事に育っていれば幾つになると、草鞋をつくる手を休めて、その指を折ってみたりなどしました。
 無事に育って、日傭取《ひようとり》かせぎ[#「かせぎ」に傍点]でもいいから、こくめい[#「こくめい」に傍点]に働いてさえくれればよい、間違っても、おれのように足が早く生れついてくれるなと心配しました。
 非常な生活には、非常な警戒心が要るから、人を恋しがるような余裕は薄らぐのに、きょうはあたりまえのところへ置かれているから、あたりまえの人情が湧くと見えます。
「こんにちは……」
 さいぜん、機音《はたおと》がやんだなと思ったら、いま、裏口に訪れたのは、その若い娘の声にちがいないと思いましたから、七兵衛が、
「はいはい」
 膝の上の藁《わら》を払って立とうとすると、娘は早くも前の方へまわって来て、
「よく降りますね」
 傘をさして、手には小笊《こざる》を提げております。
「よく降るこってすね」
 七兵衛も相槌《あいづち》を打ちますと、
「おじさん、お薯《いも》をふか[#「ふか」に傍点]したから一つ持って来ましたよ」
「それはそれは」
 七兵衛はおおよろこびで、娘のさしだした小笊を受取ると、中にはおさつ[#「おさつ」に傍点]のふかし[#「ふかし」に傍点]立てが十ばかり湯気を立てています。
「どうも御馳走さま」
「どう致しまして」
「まあ、話しておいでなさいましよ」
「ありがとうございます」
 娘は、ちょっ[#「ちょっ」に傍点]と立ちまど[#「まど」に傍点]うていましたが、
「また参りましょう」
「そうですか、では、また話しにおいでなさいな」
「ええ」
 七兵衛は、小笊の中へ付木《つけぎ》を入れてかえすと、娘は、それを持って帰って行きました。
 再び膝を組み直した七兵衛は、ぼんやりと娘の帰っていったあとを見送って、
「うむ、いい娘になったなあ、少し見ないでいるうちに……」
 ハチ切れそうな娘ざかりの肉づきが、この時ひどく七兵衛の目に残りました。
 今まで、女というものの存在をわすれてでもいたかのように、七兵衛は、今の娘を帰してしまったことを、なんとなく残りおしくてたまらない心持になって、無理にひきとめて、京大阪の話でも聞かせるのだったのに……
 そういえば、娘もなにか物欲しそうに来ていた様子……上手《じょうず》に言えば、いくらでも話し込んでいたにちがいない。
 いったい、おれは女には気を置き過ぎる……と七兵衛が自分を歯痒《はがゆ》く思ったのはその時で、腕を振えば、いくらでも振える機会を、ついその場になると、かわいそうになったり、冷淡になったりしてしまう。
 盗賊を商売にするものには、物を盗むのを二の次にして、女を自由にするのを得意にする奴がある。七兵衛は、そうなれない。物を盗《と》るのは償《つぐな》いがつくが、女を辱《はずかし》めるのは罪だ……というような気に制せられるのを、自分ながら不思議に思う。
 娘はかわいそうだ、主あるものは罪だ……その時、七兵衛の頭に、むらむらと湧いて来た面影《おもかげ》は、神尾主膳のところにいたお絹という妖婦《ようふ》のことであります。
 あの女ならば、いくら弄《もてあそ》んでも罪にはならない……おれはいったい、あの女とずっと以前から近づきになっていたのに、いらぬ遠慮をしていたものだ。あとから出た百蔵あたりが、かなり甘ったるい言葉づかいをするのに、それをあざ[#「あざ」に傍点]笑って高くとまっていたおれは、淡泊なのか、それとも意気地がないのか。
 七兵衛としては妙な心に動かされました。

 雨のやむのを待って七兵衛は旅仕度をととのえて、わが家を立ち出でました。まず江戸をめざして行くのかと思うと、そうではなく、南の方へ向いて、ほどなく武州の高尾山へつきました。七兵衛は、高尾山の飯綱権現《いいづなごんげん》を信仰して、時々おまいりをしては護摩《ごま》を焚いてくることがある。七兵衛の飯綱権現信仰の心持はわかりませんが、ここへおまいりをするのは、今に始まったことではありません。
 本道から、登りにかかると、ちょうど入口のところへ人夫が大勢入って、しきりに大木を伐《き》り散らしていますから、七兵衛も思わず立ちどまって、
「おやおや、たいそう材木をお伐りなさるが、どうなさるんですか」
と人夫にたずねてみますと、人夫が、
「ここへ道を開いて、車を仕掛けようというんです」
「え、ここへ道をつけて車をしかけるんですか、道はこっちにいい道があるじゃありませんか」
「そっちの道は、そっちの道として置いて、別にこっちへつけようというんだ」
「なるほど……」
 七兵衛が仰いで見ますと、これからずっと山の上まで、さしもの大木を伐《き》り倒して行こうという計画らしいから、心なき七兵衛も惜しいものだという気になって、
「惜しいじゃありませんか、この大木をドンドンお伐りになっては……」
「よけいなことをいいなさんな」
 人夫頭が憎さげな眼で七兵衛を見ました。七兵衛は頓着せず、
「全く、これを伐ってしまうのは惜しうございますよ、なんとか工夫はないものですかな。第一車を仕掛けて、どうなさろうというんで……」
「そんなことは知らねえよ、おれたちは伐れというから、伐っているだけなんだ」
「なるほど……」
 七兵衛はなお立去らず、大木の森をながめていると、
「おいおい、邪魔になるから向うへ寄っていな」
 人夫頭が叱ります。七兵衛は二足三足、わきへ寄って、なお物惜しそうにながめていると、人夫たちが、からかうように、
「おい、お前さん、何かこの木を伐《き》って文句があるなら、、おれたちにいったって仕方がねえから、お宮へでも、お寺へでも尻を持って行きな。おれたちは、ここを伐れといえば、ここを伐るし、あすこを削れといえば、あすこを削る、おゆるし通りに仕事をしている分のことだぜ」
 そこで七兵衛は沈黙してしまいました。
 七兵衛のような心なき盗賊でさえも、これはあまり無茶なことだと思いました。この山は、お宮とお寺とで管理している山。お宮は樹木が御神体のようなもの。昔の出家は木を植えて山を荘厳《そうごん》にしたのに、何の必要あってこうしてムザムザ木を伐ったり、山を崩したりするのだろう。車を仕掛けるのだといっているが、わからないことだ。もとよりこの連中は、いいつけられた通りにしているので、この連中に向って文句をいっても仕方がないが、上に立つものが、もう少し目が見えそうなものだと思いました。
 話の模様では、ここの木を伐ってみていけなければ、またほかのところを、おゆるしが出ることになっているらしい。立派な山を疵物《きずもの》にして、車を仕掛けなければならない理由が七兵衛には少しもわかりませんから、コイツ山師共が、何かの口実で、木を伐って金儲《かねもう》けをするのだなと思い込んでしまいました。祖先以来荘厳にして置いた名山を、食い物にしようとする人間の浅ましさはさて置き、管理するお宮とお寺とが、これではなさけないと思います。
 七兵衛は天成に近い盗賊だが、それでも、これだけの冥利《みょうり》は知っているのです。
 七兵衛はまた、時として、優れたる家相学者であることもあります。
 その仕事の都合上、どうしてもまず家の形勢を見てかかることから、自然に会得《えとく》した家相の知識にも、相当に聞くべきものがあるのであります。
 その説によると、主人がしっかり[#「しっかり」に傍点]していて、家中が気を揃《そろ》えているところには、家相におのずから弾力があって、忍び込めないことになっている。よし忍び込むことができても、その獲物《えもの》が僅少であって、犠牲が多いことになっている。これに反して、主人が惰弱《だじゃく》で、家風が衰えている家は、いかに構えがおごそかでも、家相というものが、隙だらけで、そこへ忍び込んで仕事をするのは、極めて容易《たやす》いことになっている。
 七兵衛にいわせると、これは、個々の家相のみではない。彼が国々を出没してあるくうちに、おのずから、その領主の気象や士気が、風土の上に現われるのを見て取ることができる。
 領主が賢明にして士風が振うところは、城内の樹木の色まで違う。国が盛んに、人気の和《やわ》らいでいるところでは、必ずその封内の神社仏閣を大切にし、樹木が鬱蒼《うっそう》としている。貧弱な国ほど領内に樹木が乏しい。よい樹木があってもそれを伐りたがる。
 神主や坊さんたちも、人物が優れているほど、境内《けいだい》の風致の荘厳《そうごん》を重んずるが、それが堕落すればす
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