ました」
とお絹が答える。
久しく田舎《いなか》に引籠《ひきこも》っていた神尾の眼には、この女の姿が、めざましいほど、若くあだっぽく[#「あだっぽく」に傍点]見えるものらしい。
「ほんとにお前は若いよ、羨《うらや》ましい。拙者などは山の中にくすぶって[#「くすぶって」に傍点]、あたら年をとってしまった」
「御冗談でしょう、御前《ごぜん》などはこれからでございますよ」
「盛りは過ぎたな」
と神尾が、自分を嘲るようにいいますと、
「これからでございますよ」
お絹は自分のことをいっているような返事。
「女は幾つになっても廃《すた》りというものはないけれど……」
「廃ってしまえば見返るものもございませんから、廃らないうちが花でございます」
「お前なぞは、四十になっても五十になっても廃りっこはない」
といいながら神尾は、この女は天性、女郎になるように出来ている女だなと、つくづく思いました。
「福兄《ふくにい》さんも、いよいよわたしが出て来るとなると、泣きました」
「うむ」
神尾は苦いものを飲ませられたように思う。それまではいわなくてもよかろう。聞きとうもないことを、女の口から、平気で喋り出す恥知らずを、さすがの神尾も呆《あき》れて、よんどころなく、
「福村も力を落したろう」
「ええ、あの人は、今のところ、わたしがドコへも行けないものとたかをくくって、ワザと焦《じ》らすつもりでいたところを、こうして、さっさと片付けて、綺麗《きれい》に引払って来たものですから、びっくり[#「びっくり」に傍点]して、しまいに泣いてあやまりましたよ。お気の毒でした」
「かわいそうに」
「かわいそうなことはございません、少し思い上っていたところですから……」
神尾はだまって、お絹の横顔をながめると、緊張のない肌がぼちゃぼちゃ[#「ぼちゃぼちゃ」に傍点]として、その中に濃厚な乳白色のつや[#「つや」に傍点]が流れている。これは、たまらない多情者だと神尾が思いました。
こういう女は、生涯、幾人《いくたり》の男をも相手にすることができる。男から男へとうつり行く間に、前の男をわすれてしまう。だから、こういう女をつかまえて、薄情を責めるのは間違いである。世には天性、女郎になるように出来ている女があって、それが境遇上、そのところを得ずに奥様になったり、お妾になったりする女があるものだ。この女は、まさしくその一人だと神尾が重ねて思いました。
だからこの女は、浜松に生れて、神尾家に奉公し、先代の神尾に寵愛《ちょうあい》されたことは忘れている。今日まで一緒に暮らしていた福村のことも、もう忘れかけている。
娼婦の如くもてあそばるるために生れた女があるものだと、神尾は、今あらたまったようにこの女の毒に触れました。
そこで、だまって、障子の中へ入って行く途端に、自分の面《かお》が大きくお絹の見ていた鏡へうつるのを見出して、思わずクラクラと眩暈《めまい》がしました。
いつになっても、蠱惑的《こわくてき》な若さを持ったお絹の面と、眉間《みけん》の真中に大傷を持った自分の面とが、鏡面に相並んで浮び出でたのを見た神尾は、クラクラと眼がくらむのを覚えました。
「ああ、なんという醜《みにく》い面《つら》だ」
神尾は腹の底から、自分の生れもつかぬ傷を呪いました。お絹の面《かお》が、見るたびに色っぽくなってゆくにひきかえて、自分は生涯、人中へはこの面《つら》を出されはしない。
弁信が憎い。おれの面体《めんてい》にこの傷をつけたのは、あのこましゃくれ[#「こましゃくれ」に傍点]の、お喋りの、盲目《めくら》の小法師の仕業《しわざ》だ! そこでいつもきまって、弁信というものを憎み呪うのが例になっている。
「ずいぶん大きな傷でございましたわね」
とお絹も、この鏡にうつる傷の大きさを、いまさら驚いた様子です。
「愛想《あいそ》が尽きるだろう」
「なあに、あなた……」
この舌たるい言葉を、神尾は二様の意味で聞きました。一つは傷などはどうあろうとも、面付《かおつき》などは、いかに拙《まず》かろうとも、男でさえあればたんのう[#「たんのう」に傍点]しますよという意味にも聞え、もう一つはなにそのくらいの傷は、あなたの男ぶりの全体には少しもさわりにはなりませんよ、という意味にも聞える。
この傷が癪《しゃく》にさわるから、神尾は、日ごろつとめて鏡を見ないことにしていました。今、こうしてまともにうつ[#「うつ」に傍点]されてみると、一時は、眼まいをするほどに、呪わしさと、腹立たしさを感じましたが、落着いてみると、それが裏を返して皮肉になり、わざと、見つめるだけこの傷を見つめてやろうという気になり、鏡にうつる傷の面《かお》をじっと力を籠《こ》めて見つめたものです。
「おれには眼が三ツある」
神尾は自分の面を、まともにながめて、つくづくとそう思いました。
横に連なった二つの眼は、人間並みに物をかたよらずに見る眼、別に出来上った竪《たて》の眼は何を意味する。
「何を、そんなに見つめていらっしゃるの」
お絹がいうと、
「これを、これを」
神尾は、さも痛快な心持で、眉間の傷を指さしました。最初はその傷を見るのが呪いであり、その次には皮肉であり、今は痛快な心持で指を突込まんばかりに、さして見せますと、
「悪くはありませんけれど、御自慢にはなりませんわ」
とお絹がたしなめ[#「たしなめ」に傍点]るようにいいました。けれども、神尾主膳は、それにしょげ[#「しょげ」に傍点]ないで、カラカラと笑いました。
その有様は、急に嬉しくてたまらない心持になったようです。たとえば、世間には両眼の見えないものもある。片眼しか用をなさないものがある。最も念入りにこしらえた人間とても、二つ以上の眼は与えられていないのに、自分に限って三つの眼を与えられたことを、喜び躍るかのように見えます。今の先まで、呪い、憎んでいた額の大傷が、何かその喜びに堪えない暗示を与えたもののように、面《かお》の色まで生々としてきました。
「何がそんなにお嬉しいんです、やんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]な若様」
お絹は、その昔、自分が可愛がってお守をしたことのある、この若様を可愛がるような心持になります。
この殿様は、駒井能登守のように水の垂れるような美男とはいえないが、決して醜男《ぶおとこ》の部類ではない。とりようによっては苦味走《にがみばし》って可愛ゆいところがあると、お絹もそう憎い人とは思っていなかったし、神尾もやくざ[#「やくざ」に傍点]だけに砕けたところがあって、どうかすると、やんちゃ[#「やんちゃ」に傍点]なお坊ちゃんぶりを発揮するのを、お絹は可愛がってやるつもりでいました。
山住居《やまずまい》して、一時行いすましていた神尾主膳は、ここで、境遇の変ると共に、また心持までも逆転したのは浅ましいことです。
お絹がここへ押しかけて来るまでには、さまざまの表裏もあれば魂胆もあって、糸をひく奴もあるし、引かせる奴もあって、お膳立ては以前から、ちゃんと出来ていたものです。それをその間際まで知らなかった福村が、気の毒といえば気の毒。未練の充分にある、自分には過ぎ者の女に置いてけぼりを食って、事実、お絹のいう通り、別れる時は泣いてあやまったかも知れません。
お絹としては、早く、あんな男と手を切ってしまいたかったが、いま手を切っては自分の身の落ちつきに差当って困るから、いいかげんにあやなしていたので、神尾の江戸入りがきまると、自分の運命もきまるように計画を熟させておきました。
そこで、福村をうっちゃ[#「うっちゃ」に傍点]ることができて、こうして、いい気持で乗込んだのもかなりに図々しいが、今までの身持を、この際すっかり忘れて、平気でそれを引寄せて、うれしがっている神尾も神尾です。
そうかといって、お絹とても、この神尾が永久に頼みになる人間とは思っていまい。あれも一時《いっとき》、これも一時で、その場、その場の足がかりさえあれば、前後のことは考えておられない――といってしまえば、それまでですが、神尾は知らず、お絹としては、ここへ乗込んでくるまでに、また考えたこともあれば、ひそかに蓄えた野心もあるので、神尾をあやなしながら、まだまだ自分を捨てた気にはなりません。仕事はこれからですよ、と口に出してもいっているくらいだから、心では油が乗っているし、第一その相手欲しい肉体が、絶えずそれを物語っているのをどうともすることができません。
今、お絹の胸に蓄えられている野心の一つを打割って見ると、どうしても元の駒井能登守、今は駒井甚三郎をとりこ[#「とりこ」に傍点]にしてやらねば虫がおさまらないといういきはり[#「いきはり」に傍点]があるのです。
この女は、甲府にいる時分から、駒井に気があったのは事実で、ついにそれが成功するに至りませんでした。あの時分は生来の浮気がもとで、自分の腕にかけての自信というようなものも加わって、評判になるほどの男を自由にしないまでも、その心をこちらへ向けて焦《じ》らすことに快感を覚えるという程度のものでありました。それが思うように利目《ききめ》がないと見ると、今度は自分が焦れ出して、なあに、いつか一度はこっち[#「こっち」に傍点]のものにして見せるといった腹でいるところへ、例の間違が持ち上って、とうとう、駒井も、神尾も、両倒れの体《てい》で、甲府を引上げるようになってしまったから、お絹としては、未練というようなものが残って、おりにふれてはむず[#「むず」に傍点]掻《がゆ》い思いにたえられなかったのです。
ところがどうでしょう――このごろ聞けば、その駒井能登守を、人もあろうに女軽業の親方のお角がとりこ[#「とりこ」に傍点]にしている、とりこ[#「とりこ」に傍点]にした上に金を絞って、興行の旗上げに使っている――という噂を聞いたものですから、お絹が躍起になったのも無理はありません。
堅いようでお目出度い殿様――人交わりのできない女を相手にして、れっき[#「れっき」に傍点]とした家柄を棒に振ってしまうし、今度はまた女軽業の親方風情に翻弄《ほんろう》されて、おまけに大金をつぎこんでいる。それほどのたあいない殿様を、自分の手に入れることができないとあってみれば、意地にも我慢にも腹が立つ。それに、お角という女、何かにつけて自分に楯をつくのみならず、ややもすれば自分を取って押えて、上に乗ろうとするような仕打ちを見せるのが癪《しゃく》だ。
どちらからいっても、この分には済まされない。そこで自分の自信も満足し、お角という女をとっちめる[#「とっちめる」に傍点]最上の策は、駒井能登守を生捕《いけど》ることだ。そうすれば一挙両得で、戦わざるにお角の陣営は崩れてしまう。こうして神尾を当座の足場として置いて、お絹のこれからの仕事は駒井を生捕るということに集中させる。まだ整理しきれない座敷の中で、その晩お絹は、行燈《あんどん》の下に机を置いて、一心に手紙を書き出しました。
二十三
青梅《おうめ》の裏宿の七兵衛は、この時分、裏宿の家におさまって、雨降り仕事に、土間へむしろを敷いて、藁《わら》を打って、しきりに草鞋《わらじ》をこしらえておりました。
こうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓家におさまって、雨降り仕事に草鞋をこしらえているところを見れば、だれが見ても、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓で、これを稀代《きだい》な盗賊と見るものはありません。
七兵衛自身も、その本心をいえば、どのくらい、このあたり[#「あたり」に傍点]前の百姓を有難いことだと思っているか知れないのです。そうして、あたり[#「あたり」に傍点]前の百姓になりきれない自分というものを、こういう際には恨みにも思うほどに、心もおだやかなものであります。
多年、誰とて、自分の内職をあやしむものはないようなものの、いつまで、この隠しごとが現われずにいるものではない。早晩、三尺高いところへ自分の首がさらされる運命の来《きた》ることを思えば、
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