井能登守!」
 駒井は眼をつぶって、沈黙してしまいました。米友は、唇がわなないて口が利《き》けません。
 なんとも手のつけようのないのは、卒塔婆小町の婆さんで、なぜ、この品位ある若殿原《わかとのばら》が、寺男の米友風情に、こうまで罵られて言句がつげないのか、また、日頃、親切で正直な男が、まるで狂犬《やまいぬ》みたように、どうして一見の人にガミガミ噛みつくのだか、委細の様子がわかりません。
 暫くあって駒井甚三郎は、沈黙をやむなくさせられた口を開いて、
「それでは、友造、わしは、どうすればいいのだ」
「死んだものを活《い》かして返せ!」
と宇治山田の米友が叫びました。これは無理です。本来米友という男は、無理をいわない男であるし、自分が無理をいわないのみならず、他の無理に対しても我儘《わがまま》ということのできない男であります。しかるに、今は、駒井能登守に対して、無茶苦茶な無理をいいかけています。死んだ者を活かして返せとは、人間として、これより以上の無理な註文はないはずであります。駒井甚三郎が、いま失意の境遇にあるよわみをつけ込んで、こういう無理をいいかけるのか知らん。そうではないはずです。この男には、人のよわみにつけ込むという心はないのみならず、苟《いやしく》も弱者の虐《しいた》げらるるものに対しては、じっとしていられない男であるはずです。しかるに、今このしお[#「しお」に傍点]らしい美男の若殿原に向って、さいぜん[#「さいぜん」に傍点]からあらんかぎりの暴言を吐くのみならず、人間の力ではできない相談の無理を吹きかけています。モシ、他目《よそめ》で見たならば、たしかにこれは馬喰《うまくら》いの丑五郎《うしごろう》以上の悪態であります。卒塔婆小町の婆さんも、ここに至るとホトホト米友を憎らしく思いだしてきたのも無理ではありません。
「友さん、お前、無理をいうものではありません、お前にも似合わないじゃありませんか……」
 けれども米友は頑《がん》として頭《こうべ》を振って、
「駒井能登守、死んだものを、活かしてかえせ」
 この最大の無理を再びくりかえして、地団駄《じだんだ》を踏みました。
 おどろくばかり柔順なのは駒井甚三郎で、これらの暴言に対して、最初から怒るの風がないのみならず、甘んじてその辱《はずかし》めをうけて慎しむの体《てい》です。
 この人とても、武士の表芸として、武術の一般を学んでいないということもあるまい。まして、こうして物おだやかでない市中を、ひとりあるきするほどのものには、相当の心得がなければならないはず。その当時の紀綱《きこう》を維持する斬捨て御免の制度は、武士階級の面目を保護するために、百姓町人に向って応用することをゆるされているはず。しかるに、取るにも足らぬ小者《こもの》の罵詈悪口《ばりあっこう》に対して、この意気地ない有様は何事。
 それでは、宇治山田の米友の槍の手並と、その矮躯短身《わいくたんしん》のうちにひそむ非凡の怪力《かいりき》を知って、それに怖れをなしているのか。そうでもあるまい。
 この時、宇治山田の米友が、何におどろいてか、両の手を頭の上に高くあげて、
「死んだものを活《い》かしてかえせとは無理だった、これは人間の力でできることではねえ、神仏の力でも、死んだものを活かしてかえすことはできねえ……往《ゆ》きてかえらぬ死出の旅と歌にもあらあ。そうだ、そうだ、おいら[#「おいら」に傍点]も旅に出かけるんだった。長者町の先生が、おいら[#「おいら」に傍点]をつれて京都から大阪をめぐる約束になっているのだ――京都でも大阪でも、唐《から》でも、天竺《てんじく》でも、無茶苦茶にあるいてくるのだ。トテもおいら[#「おいら」に傍点]のこの心持では、一つところにじっとしてはいられねえ」
と叫び出すと共に、抛《ほう》り出しておいた手桶を取って、その水をザブリと花桶の中に打込むと共に、疾風の如くこの店をかけ出して、伝通院の境内に姿をかくしてしまいました。

         二十一

 その時分、神尾主膳は、もう栃木の大中寺《だいちゅうじ》にはおりません。
 ほどなく、根岸の御行《おぎょう》の松に近いところへ、かなりの広い屋敷を借受けて、そこへ移り住んだ主《ぬし》というのが、別人ならぬ神尾主膳でありました。
 この屋敷は、とても以前の染井の化物屋敷ほどの面積はないが、それでも相当の間数と庭とがあって、中にじっと潜《ひそ》んでいる分には、あまり近所の人目に、わからないほどの広さと静けさとを持っています。
 ここへ移り住んだけれども、その当座、神尾は決して外出をするということがなく、日中は庭先へさえも出ない有様で、至極おとなしく[#「おとなしく」に傍点]暮らしていたが、どうかしたハズミで、部屋に備付けの鏡を見た時に、神尾が何ともいえない不快な面色《かおいろ》になって、ひとりでじれ[#「じれ」に傍点]出してくるのが例になっています。
 寺へ、逼塞《ひっそく》して、ひとたび心の洗濯もしてみたけれど、額に残る淫眼の傷は拭えども去らず、消せども消えず、それを見るたびに神尾が、怒りつ、焦《じ》れつするのもまた無残なるものであります。
 ところで、この神尾が、移り住んで来たその身のまわりの世話をしている女が、寺男の女房のお吉であることも、この世界にはものめずらしいばかりであります。
 お吉は引越しの当座だけ、おてつだいに来たのだから、直ぐに帰る、帰るといいながら、まだ容易に帰る様子もありません。また、神尾としてもいま、お吉に出られては、差向きこまるから、かわりのあるまでと、無理に引留めてはいるらしい。
 神尾をこうして、再び江戸の方へ引張り出した有力な策士は、がんりき[#「がんりき」に傍点]の百蔵であることまぎれもないが、百蔵とても、今はさかさにふる[#「ふる」に傍点]っても水の出てこない神尾を、かつぎまわったところで仕方があるまい。
 これは、本来の目的がはずれて、まぐれ当りに神尾にぶっつかり[#「ぶっつかり」に傍点]、神尾の方でも、また逼塞《ひっそく》の生活にいいかげん退屈しているのを機会《しお》に、がんりき[#「がんりき」に傍点]を頼んだものと見える。
 こうして、二人のやくざ[#「やくざ」に傍点]者が、腐れ縁ながら提携してしまってみると、これから後、類は友をひいて、再び染井の化物屋敷が、この根岸へ現われてくるものと見るほかはあるまい。
 ただ、気の毒なのは、正直な田舎者《いなかもの》のお吉で、こんなところに永居《ながい》をすれば、よいことはないにきまっている。
 それでも、この女は、もとの領主という尊敬をいつまでも失わず、忠実につとめて、国に夫が待ってさえいなければ、いつまでもここで御用をつとめる気分になっているらしい。
 神尾とても、酒乱の兆《きざ》さざるかぎり、お吉に向って、そう乱暴を働くということもなく、またこの男は、やくざ者だけに、ドコか肌合いにやさし[#「やさし」に傍点]味もあると見えて、そう没義道《もぎどう》に人を使うということもないと見える。
 神尾は引籠《ひきこも》って、人に姿を見せないし、お吉は別荘の留守番といったような格で、かいがいしく働いているから、庭や垣根の手入れに来た職人達も、別に怪しむほどのことにも至らず、そうして無事に、十日余りを経過しました。
 ところが、その翌日、かいがいしく働いているお吉を、いとど怪しく思わせたのは、その日に、荷車や釣台がかなり賑わしくこの屋敷へ着いて、一応の案内を申し入れると共に、無雑作にその荷物を運び入れてしまったことです。
 一時は、お吉も人ちがいかと思いましたが、主人の神尾も充分に諒解があるらしく、お吉にもいいつけて、その荷物を一間へ運ばせてしまいました。
 荷物を運びながら、お吉がおだやかでないと思ったのは、それがことごとく、箪笥《たんす》、長持、鏡台、お嫁入りの調度といったような品――はて、誰が来るのだろう。お吉は脅《おびやか》されたように胸が騒ぎました。
 ここへ頼まれてくるまでの話には、神尾の殿様の周囲には、全く女気というものがなく、また自分もうちあけて頼もうとするほどの女がないのだから、ぜひにといわれて、お吉は、それを光栄とも、誇りともするような気分で、わが家気取りでかいがいしく働いているところへ、こうして物々しく女の調度がおくり込まれたから、裏切りにあったように胸を騒がせたのも無理はありません。
 一時は口も利《き》けないほどになって、手に持った鏡台をあぶなく取落そうとしたのを、我慢して、差図された部屋まで持ち込み、やっと、
「どなたかおいでになるのでございますか?」
とたずねてみると、神尾はなにげなく、
「少しの間、置いてもらいたいというお客様があってね」
「左様でございますか」
とは返事をしたけれども、少しの間おいてもらいたい客人が、何しに箪笥、長持、鏡台、針箱の類《たぐい》まで持ち込むのだろう。
 お吉は、なんともいえない疑惑にみたされながら、それ以上は、尋ねてみる勇気もなく、そのまま、裏へまわって風呂を焚きにかかりました。
 しかし、そのお客様というのは、こうして荷物だけ先にまわしておいたが、本人というものは、容易には姿を見せません。どんな人が来るのだろうと、お吉は仕事をしながらも、それを心待ちに待ちかまえていましたが、風呂が沸く時分になっても、一向この家へ、訪《おとの》うて来る人はありません。それでは、殿様の御冗談だろうと――お吉は自分で気休めのように考えてみましたけれど、それにしては現在、送り込まれた荷物が物をいって仕方がない。どんな人がいつ来るであろう。来たところで、なんでもないはず。それをお吉は、自分で取越し苦労をして、なんだかすっかり、自分がだま[#「だま」に傍点]されてしまったようにも思われてならない。
「お風呂が沸きました」
 いつもならば、二つ返事でよろこんで風呂場へ飛んでくるのに、今日は、
「あ、そうか、まあ後にしよう」
といった神尾の言葉までが、いやによそよそしく、冷淡を極めているように思われ、お吉は、いっそ、ここを逃げ出して、国へ帰ってしまおうかとさえ、その時は思いました。
 ぜひなく、お吉は引返して、台所の方へ廻り、夕飯の仕度を働いているうちに、表の方に人声がありましたので、ハッとしましたが、その時、進んで返事をしたのは、珍しく主人の神尾の声でありましたから、お吉が、またも気を揉《も》みました。いつも人が来ても、隠れるようにして応対などをしたことのない人が、今日に限ってあの返事――さてはと思うと、お吉は立つ気にもなりません。ワザと腰を重く構えていると、やや暫くあって、廊下のところで、
「風呂がわいているそうだから、そなた入ったらよかろう」
と神尾の声。
「それは有難うございます。では、御免を蒙《こうむ》りまして……」
というのは、ある女の声。
「そこを、ずっと突き当って行くと開き戸がある、そこが風呂場だ」
 神尾が口で案内すると、女は心得たもので、ずっと教えられた通りに打通り、やがて帯を解く音。早くも風呂の蓋を取って、やわらかに湯を掻《か》きまわす音まで聞えましたから、お吉は躍起《やっき》の心持で、思わず台所を立って、そっと忍び足に風呂場の羽目《はめ》からのぞいて見ますと、油の乗った年増ざかりの女の肌。
 お吉がふるえた時に、廊下を渡ってくる神尾の声、
「お絹、風呂加減はどうじゃ」

         二十二

 風呂から上ったお絹が、まだ持ち運んだ荷物の散らかっている一間の中で、鏡台に向って、髪を直していると、いつか、そのうしろに立って、障子の外からのぞいている神尾主膳。
 なんともいわないで、ただお絹の後ろから、鏡にうつる姿をながめている。お絹もまた、なんともいわないで、念入りに髪をいじっている。
 鏡にうつるお絹の面《かお》に、わざとするような恥かしさ。頬から首筋、後ろへまわした手首までが、乳のように白い。
「お前は、いつになっても年をとらないね」
と神尾がいう。
「こんなに、お婆さんになってしまい
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