まいました。しかし、駒井甚三郎は感情に制せられず、
「あれは常に気位を持っていた。気位というものは往々人を尊大に導いて、広い同情を忘れしめるものだが、その気位あるによって、犯し難い見識も品格も出て来ることがある。あれが堂上の出であり、高貴の血統ということは、わしにとっては、どうでもいいことであったが、その自負心から出でる天然の気品は、尊重せねばならぬと思っていたのだが、その自負心を根柢から動揺させたのが、誰あろう、この駒井の罪だ……甲州において、人もあろうに、あの君女《きみじょ》を愛したということが……駒井の愛情が、人交わりもできない身分の者に奪われたと知った時に、あれの気位が根柢から動揺するのはぜひもないことだ。あれの身になってみれば、それと知った時は、まさに死ぬより辛い侮辱を与えられたと思ったに相違ない――女というものが、その自負心を傷つけられた憤慨と、その愛を奪われた侮辱の苦痛の深刻な程度は、お前にもわかってはいまい、わし[#「わし」に傍点]にもわかっていなかったのだ。思えば、わしは一本の剣《つるぎ》で二人の女の魂を貫いてしまったのだ。その二人とも、今の世には珍しいほどの純な心であったのに、この駒井の一旦の情慾から、それを殺してしまったのだ。この復讐が来るならば、いかに深刻に来《きた》るとも甘受しなければならない」
 一学は、主人のいうところに熱情の籠《こも》ることを感じました。けれどもその論旨の意外なるに服することができません。
 一切の責《せめ》われにありと主人がいうのは、世の常の自制でもなければ、あきらめ[#「あきらめ」に傍点]でもない、真にその通りに自覚して己《おの》れを責むるの言葉としか思われないことが、一学にとっては甚だ意外でありましたのです。
 何となれば、一学は、今までわが主人のために、世間と人間とを責めてやまなかったからです。わが主人ほどの人材を容《い》れることのできない時代は、時代が悪いのだし、またわが主人ほどの男を愛しきれない女は、女が悪いのだと、強くそう感じていたからであります。
 これは、一学の観方《みかた》にも相当の道理あることで、幕府が今日の危機に立って、非常に人材を要する時にあたり、ささやかの失態によって、わが主人ほどの人物を閑地に置く(生きながら殺してしまった)人物経済上の低能さかげんを、冷笑しないわけにはゆきません。これは一学の身びいき[#「びいき」に傍点]のみではありますまい。当時、駒井能登守を一流の新知識と知るほどのもので、この人物経済上の愚劣さかげんを笑わないものはなかったはずです。
 しかし、これは笑うものがむしろ浅見で、当時の幕府の要路というものが、おのずから、そういうふうに出来ていたので、人物に異彩があればあるほど、また人物が大きければ大きいほど、グレシャムの法則がおこなわれていたのです。
 試みに徳川の初世の歴史を見てごらんなさい。徳川家康が不世出の英雄とはいいながら、豊臣以来の御《ぎょ》し難き人物を縦横自在に処理し、内外の英物を適材適処に押据《おしす》え、雲の如き群雄をことごとく一手に収攬《しゅうらん》した政治的大手腕というものは、驚くに足《た》るべきもので――もとよりこの人は、日本のみではない、世界史上の第一流の政治家ではあるが――さりとはその末勢《まっせい》の哀れさ。今日の内外多事に当って、どこに人物がいる。辛《かろ》うじて勝安房守《かつあわのかみ》ひとりの名前が幕末史のページに光っているだけではないか。
 その勝安房守をも、彼等のある者は極力光らせまいとして努力した。
 勝は島田虎之助門下で剣術を修行した男である。剣術は出来るだろうが、畢竟《ひっきょう》ずるに剣術使いで、天下の枢機《すうき》を託すべき男ではない――また勝は一代の学者であるという評判に対して、なアにあれは正式の学問をした男ではない、いわば草双紙の通人だと。
 彼等の考えでは、勝安房ひとりに幕末史を飾らせることは、彼等自身の立場の上から、たまらなかったものらしい。さりとて全部を誣《し》うるのは、全部を讃《ほ》めるのと同じように拙策である。そこで勝の持っていた一部分の技能、つまり剣術だけをウンと讃めて、他の技能をそれで隠そうとした。あわれ、日本の歴史に二度と応仁の乱を持ち来たさないように働いた知恵者を、かれらはどうかして剣術使いだけの範囲にまつり込もうとした。
 そういった意味の時代のばかばかしさを、一学は久しぶりで逢った主人に向って訴え、且つそれが幾分か不遇の主人をなぐさめる所以《ゆえん》になるだろうと思っていたところが、案外のことに、主人はほとんどそれには取合わないほどの淡泊で、これも案外に思いました。
 しかし、この辺のことを問題としていないわが主人は、別に独特の世界を見つめている、と一学は確認することができたので、その一夜の物語で何か自分に、非常に力強いものを与えられたような気がしました。
 翌日の朝まだき、駒井甚三郎は、この家を辞して行きました。書物は取りによこすからそろえておいてくれるように、自分の居所はまだ明かせないが、そのうちくわしく知らせるからといって……
 駒井が例の如く籐《とう》の鞭を振って立去る姿を、門に立った一学は、朝靄《あさもや》の中に見えずなるまで見送っていました。

         二十

 駒井甚三郎は、生きては再び足を踏む機会はあるまいと思ったわが家へ、計らず帰って見ると、そこにおのずから感慨無量なるものがあります。
 連綿とつづいたわが家を、自分の代に至って亡ぼしてしまった。それも、自分にとっては問題にならぬことながら、社会的には無上の汚辱。どう考えても同情の余地のないふしだらのために、一代の嘲笑の的となりつつ葬られてしまった。
 よし、駒井甚三郎は、わが身の愚劣と、世間の審判の愚劣とに呆《あき》れ果てて、別に天地を求めて生きるの道はいずれにも開かれているとはいえ、先祖の位牌に塗られた泥土は拭うべくもあるまい。また後代の駒井の家の祭りをここに絶った責《せめ》は免るべくもあるまい。
 先祖に済まない――という家族制度の根本をなす思想は、この人を囚《とら》えて窒息せしむるに至らないまでも、決してその良心に安きを与えてはいないはず。
 駒井は久しぶりで、わが家の敷居をまたいで、はじめて、この罪の執拗《しつよう》なことを強く感じました。そこで、彼は亡き父と母とのことを深刻に回想してきました。
 家門の面目を生命より重しとする武士|気質《かたぎ》においては、父も母も変りはない。
 その間に、ひとり子として生れたこのわれを、人並みすぐれた人にしてそだて上げたいとの希望は、世の常の親と同じこと。幸いにして、父母のこの希望は、家を譲る時まで空しくせられずに、ともかくも、このわれというものの生立《おいた》ちを、自慢にはしようとも、恥辱とはしていなかった。「駒井の家、これよりおこるべし」と人も讃《ほ》め、父もひそかに許していたこと。
 頑固ながらも、目先の見えた父は、旧来の学問武芸の上に、進んで自分に洋学を学ばしめたこと。もし、父母の存生中にこの事件が起ったならば、父は必ず、われを刺し殺し、父母はさしちがえて死んでしまったに相違ない。
 幸か不幸か、今の駒井甚三郎は、一婦人を愛したということが、それほどの罪とは、どうしても考えることができないから、それで死ぬ気にはなれない。
 もし、自分にとって、死に価《あたい》する罪がありとすれば、それは別のところにある。
 駒井の最初の考えでは、ただこの家へ読みたい本を取りに来たまでで、その用が済んだ以上は、さっさと柳橋の船宿へ帰り、一日も早く房州へ引き上げてしまおう。今もまた、その考えで、人通りのほとんどないほどの朝まだきに番町を出て、こうして、下町方面へ、無意識に急いでゆくうちに、むらむらと巻き起る考えが、駒井の足の向きを変えさせてしまいました。
 この機会に父母の墓に詣《もう》で、先祖へ対する心ばかりの謝罪をするのも、無用なことではあるまい。こう思い出したから、駒井は足の向きをかえて、小石川の方面へとこころざしたものです。
 駒井甚三郎の父母の墓も、先祖の墓も、小石川の伝通院にある。一族、親戚の墓も多くそこにあるはず。
 ほどなく、安藤坂を上ると、伝通院の門前。まだ時刻が早過ぎるので、どうかと思ったが、見れば門前に、花を売る店が早くも戸を開いて、表の道の箒目《ほうきめ》もあざやかですから、駒井はその花を売る店へ寄って、
「お早う」
 言葉をかけてみると、店を守るのは例の卒塔婆小町《そとばこまち》に似た一人の婆さんであります。
「いらっしゃいまし」
 駒井は無雑作《むぞうさ》に店の中へ入って、
「お墓参りに来た」
「それはそれは、お早々と」
 まもなく、駒井甚三郎は花と香とを携え、卒塔婆小町に似た婆さんは、箒と水とを携えて、伝通院の墓地へ通るのを見受けます。日が漸《ようや》くのぼりはじめて、寺では梵唄《ぼんばい》の響。
 婆さんはかいがいしくお墓を掃除してくれる。駒井は花と香とをあげて礼拝《らいはい》する。父母と先祖と、それから、親戚のものにいちいち礼拝をして廻って、やがて、例の天樹院殿《てんじゅいんでん》の前までやって来ました。天樹院も、本多家も、多少、駒井の家と血縁を引かないということはない。駒井は、玉垣の門を開いてもらって、ここへもおまいりをして行くつもりです。香と花とを捧げ終って、駒井は何か物思うことあるが如く、やや離れて、天樹院の五輪塔を暫くながめておりましたが、
「婆さん」
 箒をつかっている婆さんを呼んで、
「お前は、この天樹院様をどう思う」
「天樹院様をでございますか?」
「うむ」
「どう思うと仰せられましたのは?」
「つまり、いい人か、悪い人か、愛すべき人か、憎むべき人か……」
「左様でございますねえ……」
 婆さんは箒の手をとどめて、今更のように天樹院殿の大きな石塔を仰ぎ、
「お美しい方であったと存じます」
 そういってお婆さんは、にっ[#「にっ」に傍点]と笑って駒井の面《かお》をながめます。今に始まったことではないが、このお婆さん自身がむかし美しい女であったに相違ない。いや美しいというよりは、美しいそのものを売り物にした経歴をたどって来た女ではないか。つまり、それ[#「それ」に傍点]者上《しゃあが》り、そういったものが、晩年のいとなみ[#「いとなみ」に傍点]を墓守で暮らしているのじゃないかと、誰にも一応は想像されることです。
「お美しくなければ、あんな騒動は起りますまいから……」
と付け足したが、この返事は駒井の期待しているところには少しも触れない。
「それではお前、坂崎出羽守と本多中務《ほんだなかつかさ》と、どちらが仕合せ者と思う?」
「それはきまっておりますよ」
「ふーむ」
 今度は駒井が微笑しました。駒井の微笑は、今の返答が、わが意を得たるところから来たもののようだと、婆さんは早合点をして、
「本多様は果報なお方でございますわね、それとくらべて坂崎出羽守様ほど御運の悪い方はありますまい……それというのも、あなた、殿方も男ぶりがやっぱりお大切でございますね。容貌《きりょう》を命とするのは女ばかりではございませぬ。仮りに坂崎様が本多様のようないい男であってごろうじませ、天樹院様だっておいやとは申しますまいよ」
 これは婆さんが一歩立入って、充分にうがった[#「うがった」に傍点]つもりでしたけれど、駒井甚三郎は顔の筋一つも動かすことをしません。何とも響かないものと見えましたから、婆さんも張合いが少し抜けました。そのとき、駒井は、むすんでいた口を開いて、
「わし[#「わし」に傍点]は、そうは思わない、本多はやはり不幸な男だ、不幸な程度においては坂崎に劣らない」
といいました。
「どう致しまして、あなた、本多様がお不仕合せなら、この世に殿方の果報というものはござりませぬ。何しろ、豊臣|大納言《だいなごん》様のもとの奥方に思われて……命がけでお救い申し上げた殿御を、振りつけて、そうして思う存分に、絵に描いた美
前へ 次へ
全29ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中里 介山 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング