な》が後ろから覗《のぞ》き、伊奈《いな》と筑摩《ちくま》の山巒《さんらん》が左右に走る。遠くは飛騨境《ひだざかい》の、槍、穂高、乗鞍等を雲際に望むところ。近くは犀川《さいがわ》と、天竜川とが、分水界をなすところ。
すべてを灰色に塗りつぶした、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原は山路にあらずして、いとど荒原の趣を加えてきました。見渡すところ、この荒原の中、離々《りり》たる草を分けて歩み行くたった一人の人、這《は》うような遅い足どりで――
天地が塗りつぶされた灰色の中に、その人も灰色。
その人は、手に白刃をさげたままで、左の手で半身にあびた血汐《ちしお》を拭いながら、よろよろと荒原の中を歩いている。
野袴の裾には、尾花すすきが枯れている。
立科から桔梗ヶ原へ向けては、灰色の空をしきりに鳥が飛ぶのに、地上の荒野原は、この人ひとりをあるかせるための蒼涼《そうりょう》たる画面。
しかし、どう見ても、痛々しい足どりだ。病めるにあらざれば、傷ついている。
誰と戦って、誰のために傷つけられた。相手はどこにいる。どこにもいないではないか。連れはどこにいる。それも見えない。
こういう場合には、傷ついたよりも、殺された方が幸いである。殺されて屍《しかばね》を荒原に横たえ、魂を無漏《むろ》の世界へ運んだ方が安楽で、傷ついて助けのない道を、のたり行く者の苦痛とは比較になるまい。
誰か通りかかる人はないか。通りかかって、このあわれな負傷者をいたわってやるものはないか。いたわってやる余裕と勇気がなけれは、せめて遠くから、その方角を教えてやれ。この男は時々、真直ぐな道をさえ間違えて、草原に迷い入り、南北をわすれてしまうではないか――傷ついたのみならず、彼はもう、眼が見えなくなっている。
ああ、この痛々しい足どり――だが、今となっては誰を怨《うら》もうようもあるまい。十種香の謙信でさえが、「塩尻までは陸地《くがじ》の切所《せっしょ》、油断して不覚を取るな」と戒めているではないか。
しかしながら、世間のこと、他の羨望《せんぼう》するほど気楽でないこともあれば、他の同情するほどに苦痛を感じていないこともある。
この男はこれが商売です――商売という語《ことば》が目ざわりならば、生存の意義とでも、遊戯とでも、なんとでもいって下さい。江戸の市中にある時は、これを夜行なったから誰も見たものがない。今は白昼――よし灰色の空であっても、その裏には白日のかがやくところにおいて、おなじことをくりかえして、おなじように引上げるだけのものです。
ただ今日のは、白日荒原の上、十方碧落なきのところで、前後左右に敵を引受けた無謀と、それに相手が相当の代物《しろもの》だけに、その勝負の程度が問題になるので、現在こうして、歩いている以上は、とにかく、生命に異状はないらしい。だが、或いはまた、勝負は多勢に無勢の当然の結果を踏んで、その魂だけが、こうして浮びきれない荒野を、さまようて歩くのかも知れない。
それにしても仏頂寺弥助はいずれにある。三谷一馬はどうした。高部弥三次はいかに。また丸山勇仙はどこへ行った。
それらの者の影は、一つもこの荒原の上に見えないではないか。
まさか、四人が四人、枕を並べて、屍《しかばね》を草深いところに横たえてもいまい。
では、逃げたか――或いはまた勝って再び立場《たてば》の五条源治へ引上げ、そこで祝杯を挙げてでもいるのか。
ともかくも、荒野にただ一人、机竜之助の姿は、蹌々踉々《そうそうろうろう》として歩み且つ止まり、この世の人が、この世の道をたどるとは思えない足どりで、それでも迷わんとして迷わず、さして行くところは、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家。
そこへたどりついて、戸をホトホトと叩きました。
荒原にざわざわと風が吹き、草も、木の葉も、一様に裏を返したのはその時。
締めきった戸を、外からホトホトと叩かれた時、まず鉄砲を持った主《あるじ》が、ワナワナと慄《ふる》え出してしまいました。
この鉄砲というのが、慶長以後、島原の遠征に一度参加して帰ったという履歴附きの代物《しろもの》で、最近においては、塩尻附近の猪追《ししお》いに持ち出して成功した記録があるので、主も自信のある品にはなっていましたが、この時は、どうしても目当《めあて》がつかないのみならず、五体が上下に動き出して、その鉄砲を支えられないという有様です。
得物《えもの》得物《えもの》を持った駕籠屋《かごや》と馬方は、土のようになって、ヘタヘタと土下座をきってしまいました。
「久助どの、久助どの」
外では、続いてホトホトと戸を叩き、低い声で人の名まで呼んだのですが、こちらの守備兵の耳ががんがん[#「がんがん」に傍点]と鳴り出して、それを聞き取れなかったと見えます。
「テ、テ、テッ砲だぞ!」
と主《あるじ》が叫び出したが、自分で何をいい出したかわかってはいますまい。鉄砲の銃口《つつぐち》が無暗に上り下りして躍っています。
すると、外では、やや間《ま》を置いて、
「お雪ちゃんはいないか……ともかくもここをあけて下さい」
「ナニ!」
まだがんがん[#「がんがん」に傍点]として、何が何だかわからないで、居たり、立ったりしていると、程遠からぬ裏の物置にいたお雪と久助との地獄の耳にそれが届きました。
「おや?」
久助の胸に固くなっていたお雪が、まず聞き耳を立てると、久助も、
「あの声は?」
といいました。その時、表で第三度目の戸をたたく音――
「誰もいないか、久助どの、お雪ちゃん」
それでまさしく合点がゆくと共に、二人は重し[#「重し」に傍点]にかけられた千貫の石が、急にハネのけられた気持がしました。
「先生が戻って来ましたよ」
「たしかに、そうでしたよ」
二人が、はじめて立ち上ると、その時、またも表でホトホト叩き、
「ともかくも、ここをあけて下さい」
久助とお雪とは表口へ走り出しました。島原遠征の鉄砲が、漸く手の上に納まったのもこの時であります。土下座をきった駕籠屋、馬方が、生気《いき》を吹き返したのもこの時で、
「誰だい」
「そこへ来たのは誰だい」
お雪が早くも戸の傍へ立って、
「先生ですか!」
「ああ、いま戻りました」
戻ったというのは、地獄から戻ったのか。その声は、たしかに地獄から響いて来たもののような声です。そうでなければ、自分たちが地獄から解放されたような心持で、従って、外なる人の言葉が、まだ地獄の底に救われない人の声のように聞きなされるのでしょう。それでもお雪は、ふるえつくように戸へ手をかけて、
「先生、ほんとに御無事でしたか、お怪我はなさいませんでしたか」
いきなり戸をあけようとするから、久助が心配して、
「まあ、お待ちなさい」
主《あるじ》と、駕籠屋、馬方は、油断なく万一に備える心持で、まだ得物《えもの》を手放さないでいると、
「大丈夫ですよ、それほど用心しなくとも。たしかに先生の声ですもの」
といって、お雪が戸をガラリとあけましたが、あけて後、失神したもののように驚いて、後ろへさがりました。
「まあ……あなたは」
そこに、たしかに竜之助が立っているには立っていましたけれど、その人は血をあびて、手には白刃を提《ひっさ》げて立っています。
無事で帰ったというよりは、殺された魂魄《たましい》が煙の如く立ち迷うて、ここへ流れついたと見るのが至当かも知れない。
十五
一方いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原を再び後へ戻ったところ、峠の上の立場《たてば》、五条源治の茶屋は、この時、上を下への大騒ぎであります。
それはほかでもない、ここへ、さいぜん[#「さいぜん」に傍点]出立した四人が舞戻って来たからです。しかもそのうちの二人の者が、血に染みた二人の者をかつぎ込んで来たからであります。
丸山勇仙は高部弥三次を肩にかけ、仏頂寺弥助は三谷一馬を引背負《ひきせお》って、この茶屋へかけ込みました。
それによって見ると、負傷したのは二人で、負傷しないのが二人。負傷の程度はドノ位か知らないが、二人とも、身動きもできないのを、ともかく、応急の血どめをして、ここへ担ぎ込み、仏頂寺弥助は、はげしく店の者を追いまわして、蒲団《ふとん》の上にゴザを敷いて、ともかくも、その上へ二人の負傷者を横たえる。丸山勇仙は刀の提げ緒を取って襷《たすき》にかけ、
「亭主、大急ぎ、焼酎《しょうちゅう》と畳針を心配してくれ、それに麻糸と晒《さらし》」
といいつけるのを仏頂寺弥助がおっかぶせて、
「なければどこぞ近いところへ人を走らせて、焼酎と畳針と、それから麻糸に晒……この傷を縫い合わせるのだ」
とわめきました。
そこで、顛倒《てんとう》して店のものが、また大騒ぎで、家中を探しにかかると、いいあんばいに、焼酎はかなり豊富に蓄えられてあるし、麻糸も人間を縫う程度には蔵《しま》われてあったし、少々、錆《さ》びてはいたけれども、相応の畳針まであったのを取揃えて差出すと、
「有難い、誂向《あつらえむ》きの品が全部そろっていた」
丸山勇仙は、焼酎の壺を取り上げました。この男は医術の心がけがある。そこで、負傷者のために、救急療治として、その傷口をまず焼酎で洗い、次にこの畳針で縫い合せの手術にとりかかるのは心得たものです。仏頂寺弥助は、それに介添《かいぞえ》として働き、かなりの時間を費して、ともかくも、二人の傷を縫い了《おわ》って、体中を、晒ですっかり巻いてしまってから、
「仏頂寺、いったいこれはどうしたというものだ」
と丸山勇仙が、仏頂寺弥助にたずねると、
「おれにもわからない」
仏頂寺弥助は、投げ出したような返事。
「あれは、いったい、ほんとうに盲目《めくら》なのか」
丸山が重ねてなじると、仏頂寺は、
「本物らしい」
「してみれば、君たち三人が、まとまって、ついに一人の盲人のために不覚を取ったという理窟になる――いや、理窟ならまだいいが、現実この通りの始末。剣術というものは、本来、それほど段のあるものか」
「ううん、それをいわれると面目《めんぼく》ないが……」
と仏頂寺弥助はうなり出して、じっと考え込んでいたが、
「術には、さほどの相違もあるまいが、出ようが悪かったのだ」
「出ようが悪い――それは向うのいうことだろう、向うは眼が見えないのだぜ」
「眼は見えないけれども、あれは心得たものじゃ、真剣の立合では神《しん》に入《い》っている、まさに驚くべきものじゃ」
「盲目で……」
「眼のあいた奴の仕事はたいてい見当がつくが、眼の見えない奴の構えは測ることができない。一時《いっとき》、おれは、あいつの構えを見て、ズウッと骨まで寒くなったよ。その瞬間だ、出てくれなければいいがと思っている三谷が出てしまった。出たのじゃない、引寄せられたのだ。そこで案の如く斬られてしまった。あれは眼のあいた奴にはできない芸当だ、あの引寄せる力がめあきにはない。おれも今までずいぶん、命知らずと戦った、また千葉の小天狗栄次郎殿や、練兵館の歓之助殿(斎藤弥九郎の次男歓之助、弱年にして鬼歓《おにかん》の名を得たり)は怖ろしい相手だと思うが、それは怖ろしくとも眼があいている」
「めあきは不自由なものだと、塙検校《はなわけんぎょう》が言った」
丸山はカラカラと笑ったが、仏頂寺は浮かない。
また一方、この日の朝まだき、下諏訪の秋宮《あきのみや》の社前は、まがい[#「まがい」に傍点]ものの鹿島の事触《ことぶれ》が、殊勝らしく、
「さて弘《ひろ》めまするところは神慮《しんりょ》神事《かみごと》なり、国は坂東《ばんどう》の総社|常陸《ひたち》の国、鹿島大神宮の事触れでござる。さて鹿島大神宮の一年の御神事《ごしんじ》は、七十二度の御神事、七度の御祭礼とござって、いきがい[#「いきがい」に傍点]、おきどり[#「おきどり」に傍点]、湯様《ゆためし》の御神事と申して、一天地のようだいを申してまかり通る。当年はすなわち天に陽明とござって、日照《ひでり》が六分……」
七ツさがりに、その日の先触れ
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