するつもりか、それとも、あれなる一軒家へ案内して、尋常に女を渡すつもりか。さあ、こちらを向かっしゃい、こちらを向いてこの刀、粗末ながら永正《えいしょう》の祐定《すけさだ》を一見さっしゃい」
高部弥三次は、こういって長い刀の柄《つか》を丁と打ちましたから、あとにつづいていた三人がまたも面《かお》を見合わせて、高部でかしたといわぬばかり。
その時、竜之助は、
「あいにく、拙者は眼が見えないのだ」
といって、苦《にが》りきって向き直りました。
「ナニ、眼が見えない?」
向き直った竜之助の面を高部がキッと見て、暫くあきれていると、
「この通り盲目《めくら》だ」
「盲目?」
これを聞いて驚いたのは高部ばかりではありません。後ろについて、かけ合いを検分して来たところの仏頂寺はじめ三人の者が、六つの目をみはって、一度に竜之助の面《かお》を見つめました。
事実、今までこの四人は、この男が盲目《めくら》であるとは知らなかった。
さてこそ、悪く取りすました返答ぶり、大胆と沈勇に出でた結果でもなんでもなく、敵の威力を見定める眼を失っているからのこと。こう思ってみると、四人は一度にカラカラと高笑いをして、
「盲蛇《めくらへび》、物に怖《お》じず」
といいました。
そこで高部は一層図に乗って、竜之助の肩をゆすぶり、
「一体、貴殿はどこの藩中だ、両刀を帯している以上は、多少、武術の心得はあるだろう、まして、この道中、盲目の分際で傍若無人の振舞、酒をのみ、女にたわむれ……」
といって、高部は自分ながら妙な面をして失笑したのは、よくある手で、この手合の因縁をつける時は、たいてい自分の不埒《ふらち》を先方へなすりつけて、天晴《あっぱ》れ先手を取ったつもりでいる。相変らずその手をまじめくさって使い出したけれども、自分ながら気がさしたと見えて、舌を吐きました。
後見役の仏頂寺はじめ三人は、やれやれと目面《めがお》でけしかける。高部もいよいよ得意とならざるを得ないのです。
「昨晩も、下諏訪の宿で、あたりはばからぬあの乱暴狼藉、同宿の我々がどのくらい迷惑致したか知れぬ。しかるにまたも悠々として女を伴い、これ見よがしの道中、武士の風上には置けない仕業《しわざ》……」
かさ[#「かさ」に傍点]にかかって苛《いじ》め立てようとするのに、相手がさのみこた[#「こた」に傍点]えない。
聞き捨てにして徐々《そろそろ》と前へ歩んで行くから、高部もいささか張合いが抜けて業《ごう》が煮え、
「生国《しょうごく》と姓名を名乗らっしゃい」
高部はまたも竜之助の肩をこづ[#「こづ」に傍点]き立てましたから、竜之助が、
「生国は下総国、猿島郡《さしまごおり》」
と何のつもりか出鱈目《でたらめ》のところを述べると、この時まで、後見役気取りで、あとについて来た三人のうちの仏頂寺が、急に二人の横を摺《す》り抜けて前へ出てしまいましたから、高部はちょっ[#「ちょっ」に傍点]とその挙動を怪しみました。しかし、もともと仲間のことですから、怪しんだのみで危《あや》ぶんだわけではありません。
そうすると、徐《おもむ》ろに歩んでいた竜之助が、ふいに足をとどめたものですから、押並んで歩んでいた高部も足をとどめないわけにはゆきません。その間《かん》の空気が、なんだかちょっ[#「ちょっ」に傍点]と変でしたから、後ろにいた三谷と丸山も妙な面《かお》をして立ち止まりました。
この時、高部は前よりグッと手荒く、竜之助の肩をつかみ、極めて意地悪く小突き廻すと、その時、竜之助の癇《かん》がピリリと響き、
「ちぇィッ」
無慈悲にその肩を左に開くと、侮《あなど》りきっていた高部がよろめいた途端を、左の手で突放《つっぱな》したと見る間に、
「あっ!」
と言って、頬を抑えて無二無三に後ろへ飛び退《すさ》ったのは高部で、ほとんど五間ばかり一息に後ろへ飛びさがって、そこで仰向けに倒れて、
「あつ、つ、つ、つ、つ」
と左の手で自分の頬をおさえると、その指の間から血が滝のように溢れ出します。それでも、右の手には早くも脇差を抜いて、仰向けに倒れながら、それを構えたが、みるみる、面《かお》の全部が溢れ出す血潮で塗りつぶされ、余れるものは指の間から筋を引いて下へ落ちます。
竜之助は、抜討ちに高部の横面《よこめん》を斬りました。それでも、幸いにして、その横面は、頭蓋骨を二つに殺《そ》いでしまわないで、左のこめかみ[#「こめかみ」に傍点]から三日月形に、頬を伝い、骨を残して肉だけを斬って、上唇まで裂いてしまいました。高部が飛び退《しさ》ってその傷を手で押えた時に、はじめて血が迸《ほとばし》ったものですから、その瞬間に見た傷口は、なんのことはない、口が左へ耳の上まで裂けあがったのと同じことです。しかし、それも瞬間のことで、その血は忽《たちま》ち顔の全面に溢れたものですから、丸山勇仙は、高部がやられてしまったなと思いました。それと見て、先へ一足進んでいた仏頂寺弥助が、刀を抜く手も見せず竜之助に飛びかかろうとして、急に飛びのいてしまいました。
三谷一馬もまたすかさず抜き合わせたけれども、遠く離れて、それを振りかぶったままです。腕に覚えのない丸山勇仙は、一時《いっとき》仰天してしまいましたけれど、これは抜き合わせずに、高部弥三次の介抱《かいほう》にまわって、後ろから抱きながら、いたずらにうろたえているばかりです。
机竜之助は抜討ち横なぐりに高部を斬ると共に、当然踏み込んで行くべき二の太刀《たち》を行かずに、後ろへ退《ひ》いてその刀を青眼に構えたままです。
多分、仏頂寺が、斬りかかろうとして飛び退いたのはそれがためでしょう。高部を追いかける途端を、小癪《こしゃく》なと、横合いから一ナグリに斬って捨てようとしたのが、案外にも、出足を進めないで、後ろへひいて構えた変化。そこを斬り込めば自分が斬られることを知っているから、退いて立て直すことにしたのでしょう。
三谷ときては、見当がつかないから、その当座は遠く離れて振りかぶっているが無事。
そこで、彼等の内心のおどろきは非常なものでありました。
これは、絶体絶命の自暴《やけ》で振りまわしている刀ではない。
盲目滅法《めくらめっぽう》の捨鉢でもない。
盲目といったのは嘘だ。我々を油断させるための機略だ――
と気がついて見ると、やっぱり盲目は盲目に相違ない。
眼が開いていないから――この際に至って、なお眼をつぶって、機略を弄《ろう》する必要はないのだから――
その蒼白《そうはく》にして沈鬱極まる面《おもて》にたたえられた白く閃《ひら》めく殺気。白日荒原の上に、地の利と人の勢いの如何《いかん》を眼中に置かず、十方|碧落《へきらく》なきのところに身を曝《さら》して立つの無謀。
これより先、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原の一軒家に送り込まれたお雪は、気が気でなく、どうしても中へ隠れてはいられないで、幾度も、幾度も、外へ出て見ましたが、竜之助と覚しいのを中に、四人で、都合五人ほどの人が極めて悠々寛々とこちらへ歩いて来るのがもどか[#「もどか」に傍点]しいことの限りです。
久助もまた居たり立ったりして心配してみましたが、何の方便もありません。要するに、万一の場合は、一行の中でいちばん弱いお雪を保護するのが急だと、
「お雪ちゃん、裏の方へまわって休んでおいでなさい……」
場合によっては、この家の主《あるじ》に頼んで表戸を締め切ってもらおうと思いましたが、お雪はやっぱり気が気でなく、またも敷居の外へ出て見て、今度は、急に真青《まっさお》になり、
「あれ、大変です、斬合いが始まってしまいました、どうしましょう、どうしましょう、大勢して先生一人を殺そうとしています、かわいそうだわ、目の見えないものを、あの憎らしい人たちが寄ってたかって――」
と絶叫しました。
この叫びで、久助も色を失って駈け出して見ると、お雪は夢中になって、
「誰か、助けて上げてください、四人と一人じゃ敵《かな》いませんわ、どんな強い人だって。まして目が見えないんですもの……あ、誰か倒れた、先生が斬られてしまった、見ていられない」
お雪は両方の眼を両手でかくして、久助へよろけかかりました。
十四
次の恐怖がほどなくこの一軒家へ襲うてくる。逃げられなければ隠れるほかはない。隠れおおせないまでも――
久助は、目をふさいで凭《よ》りかかったお雪を抱き込んで、
「戸、戸、戸を締めて下さい……」
そこで、この家の主人《あるじ》が先立ちで、駕籠屋、馬方など避難の連中が、ビシビシと戸を締めきり、内から枢《くるる》を卸した上に、心張《しんばり》をかい、なお、万一の時の用意に、慶長年代の火縄の鉄砲を主は持ち出し、駕籠屋は息杖《いきづえ》をはなさず、馬方は手頃の棒を持っていました。
久助とお雪は、裏口へまわって物置の蔭に小さくなって、
「だから、先生を馬から下ろさなければよかったのに……」
「だって、下りてしまったんだから仕方がねえ」
「きっと、ここへやってくるわ、もし、この家をこわしてしまったら、どうしましょう、逃げ出したって一筋道だから、捉まるにきまっているわね」
「ここの主人《あるじ》が鉄砲を持っているから、安心しなさいよ」
けれども、事実、その鉄砲がどのくらい威力あるものだか覚束《おぼつか》ない。
今や、締めきった戸を割れるばかりにたたくもののあることを期待し、それが、いよいよ戸を押し破ったなら、その時こそ最後……と腹をきめるよりほかはない。
お雪は、久助の懐ろに息を殺している。
ところが、おそい来るべきはずの敵が容易に来ない。一陣を斬りくずして、余れる勢いでこの孤城に殺到して来るべきはずの敵が、なかなかに来ないのであります。
「久助さん……来ませんね」
「ここに隠れたことを知らずに、通り越したのかも知れねえぜ」
「そうだとすれはまたひきかえして来るかも知れません」
「ナアニ、そのうちには、お大名のお通りがありますよ。お通りがあれば、あんな悪い奴は、蜘蛛《くも》の子を散らすように逃げてしまいますからね」
ここで、万々一のお大名行列の威力まで引合いに出して、お雪に力をつけてみたのですが、お雪の耳へは入らないで、
「先生がかわいそうだわ」
「どうも仕方がございません、助ける手段がねえのだから」
「先生も悪いわ、早く馬で逃げてしまえばよかったのに。ですけれども、そうすれば、わたしたちが直ぐにつかまってしまいます……でも、同じことなら、眼の見えない人より、眼の見える人が先に殺された方がよかったかも知れない」
「あ、人の足音がするようです、静かに――」
久助はお雪をかかえて、身体《からだ》を固くする。
しかし、人の足音と思ったのは僻耳《ひがみみ》でしょう。そうでなければ表の戸を守っている主《あるじ》と、駕籠屋と、馬方とが身動きをしたのか、またそうでなければ、桔梗《ききょう》ヶ原《はら》から塚魔野《つかまの》へ、意地の悪い鴉《からす》が飛んで行く羽風であったかも知れない。
諏訪からのぼって来た人は、峠の上のこの騒ぎで、五条源治の立場《たてば》あたりに食い止められているんだろう。塩尻からは、まだここへ通りかかるほどの早立ちの客がなかったものと見てよろしい。
それですから、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原は空々寂々として、原林のような静けさ。まして雪もよいの陰鬱な天気。
ところで……高原の空気に冴《さ》ゆる剣の音も聞えない。吹き来《きた》るべき暴風が途中で沈没してしまったものか、或いは人の恐怖を出し抜いて、その頭上を通り越してしまったものか、いつまで経っても、一軒屋の表戸をおどろかすものがありません。いったいどうしたのだ。あまりのことに、こっそり戸をあけて、もう一度様子を見ようとまで気がゆるんだ時に、ようやく野風のさわぐ音。
この間、いのじ[#「いのじ」に傍点]ヶ原には、灰色の雲がいっぱいに立てこめて来ました。
諏訪の盆地は隠れて見えず、鉢伏《はちぶせ》と立科《たてし
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