から、その遠音の囃子《はやし》を一層おそれたものです。
 しかしながら、偶然、足を踏み入れたお銀様にとっては、この囃子の音が、いよいよ人里を近いものにして、足の疲れを忘れさせるだけの力はありましたが、それも行くことやや暫くにして、その囃子の音、ようやく遠くなるような気がしたものですから、またしてもお銀様は小高いところをえらんで、最初に認めた火の光を追おうとしました。
 この山中にあって、今しも、この怪しむべき囃子の音を聞きつけたものは、お銀様だけではありません。三頭山《みとうさん》の連脈を縦走して、熊倉山腹の炭焼小屋附近に露営をしていた二人の者が、同じくこの囃子の遠音に耳をそばだてました。その一人は猟師の勘八と、もう一人は宇津木兵馬であります。
 思いもかけぬ時とところで、囃子の音を聞いたものですから、宇津木兵馬は覚えず目をあげて、音のする方をながめると、猟師の勘八が心得顔《こころえがお》に、
「そらはじまった、お化け囃子がはじまった。久しく止んでいたと思ったら、また、はじめやがった」
「あれは何です」
「お化け囃子といって、ああして響きは聞えても、起るところがわかりましねえ。よっぽど
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