ホッと息をついて汗ばんだ面を拭うと、べっとりと濡れた髪の毛――その髪の毛は、女にも見ま欲しいたっぷりしたのを、グルグルと櫛巻《くしまき》にして、後ろへ束ねていました。
西の空にかがやく二日月。暫く放心してその月影をながめているうちに、何に打たれてか身ぶるいしました。その時の、この人の形相《ぎょうそう》は、絵に見る般若《はんにゃ》の面影《おもかげ》にそのままであります。この人は月をながめているのではない、月を恨んでいるのです。
この高処に立って、下りて行くべき何かの暗示を求めて得ざるが故に、二日の月に空しく恨みを寄せている。
「わたしは知らない」
その恨みは女の声。その女はまさしくお銀様であります。
黒衣覆面の男の装《よそお》いして、両国のお角の宅を出し抜き、こうしてここまで辿《たど》って来たお銀様。ここでまたも方角を失いました。
ほどなく西北と覚《おぼ》しき方面の谷間《たにあい》にあたって一団の火光。
お銀様はその火を見て喜びました。
しかしながら、この一団の火光は、お銀様を喜ばす目的地方面の火ではなく、怖るべき山窩《さんか》の一団の野営ではないか。お銀様は、そんなこと
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