しげにそのあとを見送っていましたが、やがて思い返して、前路に向って力足を踏むの覚悟。
人里に遠い夕暮の山道に取残されたとはいえ、足に覚えのある者ならば、上野原までの道は、さまでは苦にならないはず。
ところが、思いきって踏み出したこの覆面のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、思いのほかに足弱でありました。三町五町歩むうちに、その疲れ方が目立ってきて、腰の物が重過ぎる。この分で三里の山道は甚だおぼつかない。ましてその間には迷い易い幾筋もの岐路《えだみち》がある。
果して、暗の落つると共に、路を失ったこの旅のさむらい[#「さむらい」に傍点]は、左に行くべきを右にいって、甲斐と武蔵の国境を、北へと辿《たど》っているのであります。こうなると、もいっそう暗くなるのを待って、どこかに火影《ほかげ》を認めて進む方が賢いかも知れない。程経て、陣馬と和田との間の高いところへ立ったさむらい[#「さむらい」に傍点]は、そこで今まで脱ぐことをしなかった覆面を解いて、夜の高原の空気に面《おもて》を曝《さら》すと、西の空に二日月《ふつかづき》がかかっているのを見るばかりで、前後も、左右も、みな山であります。
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