けれども、これは偉人の罪ではない、時代の罪である。世には陋劣《ろうれつ》なる小人と、商売根性というものがあって、盛名あるものの出づるごとに、ことさらにそれを卑《いや》しきものに引当てて貶黜《へんちつ》を試みようとする。ヴィクトル・ユーゴーが初めてエルナニを上演した時に、一派のものは、わざとおででこ[#「おででこ」に傍点]芝居を狩り催して、それにエルナニをカリカチアさせて欣《よろこ》んだ。
ラスキンのあやまちは無邪気なるあやまちである。後者のあやまちはそれではない。小人の食物は嫉妬であって、その仕事はケチをつけることである。ここに巨人でもなければ、英雄でもない女軽業の親方お角さんがあります。その周囲には従来の興行師と、それに属する寄生虫の一種、それをこわもてに飲んだりねだ[#「ねだ」に傍点]ったりして歩く無頼漢の群れがある。この連中にとっては、回向院境内の仮小屋の棟の高さがことのほかに目ざわりであります――そういう者の存在を知って知り抜いている女軽業の親方お角さんは、その真白な年増盛《としまざか》りの諸肌《もろはだ》をぬいで、
「今度の仕事は、わたしも一世一代というわけなんですから
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