ヨーロッパ》の目抜きを横行して、維納《ウィンナ》の月をながめて帰ることができました。しかし、粗漏《そろう》なる文明史の記者は、こんなことを少しも年表に加えていないようです。
いわんや、この一行が大倫敦の真中で、日本大小手品を真向《まっこう》に振りかざしたこと、その鮮やかな小手先の芸当に、驚異の目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》ったロンドンの市民のうちに、十九世紀の偉人ジョン・ラスキンがあったことを誰が知っている。
更にまた、この十九世紀の予言者であり、文明史上の偉人であり、絶世の批評家であるラスキンが、この小技曲芸をとらえて、日本の文明を評論した無邪気なる誤謬《ごびゅう》と浅見とに、憤りを発する者が幾人《いくたり》ある。
青丹《あおに》よし、奈良の都に遊んだこともなく、聖徳太子を知らず、法然《ほうねん》と親鸞《しんらん》とを知らず、はたまた雪舟も、周文も、兆殿司《ちょうでんす》をも知らなかった十九世紀の英吉利《イギリス》生れの偉人は、僅かに柳川一蝶斎の手品と、増鏡磯吉の大神楽と、同じく勝代の綱渡りと、玉本梅玉の曲芸とを取って、以て日本の文明に評論を試みている。
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