無理をしてまで親分に箔《はく》をつけようとする。親分は無理をして子分をカバおうとする。子分は無理をして親分を立てようとする。そういうのを美談のように考えているのは大間違いで、その道によって長者と先輩は尊敬しなければならないが、親分子分の関係を作るのは愚の至りだと信じているのです。ですから、上方《かみがた》へ行って本願寺のお説教を立聞きした時も、ほかのところの有難味はよくわからなかったが、「親鸞《しんらん》は弟子一人も持たず候」といった一句に、ヒドク共鳴して、いわゆる御開山様なるものはエライと感心して帰ったことであります。
ところで、この神楽師の一行は、親分子分の愚劣な関係を復習して、得意がっている連中ではなく、おのずから和して同ぜざるの見識があるように思われる。
こうして七兵衛は、江戸へ行くまでの十五里の行程を、この連中の観察と研究とを題目として行くつもりで出かけますと、ほどなく例の木を伐《き》り払って、山を崩しているところまで来ました。
ここへ来ると、一行がたちどまって、
「おお、木を伐っています」
「おお、山を崩しています」
といって眼を円くしてたちどまり、
「木を伐って何を
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