。ですから、旅先で、二宮流の講義などを聞いていると、つい感心してしまって、自分も、どこか、広々とした野原へ出て開墾をして、そこに自由な新天地を開いたら、どのくらい愉快だろうと空想することもあるくらいですから、百姓が嫌いといったのをクス[#「クス」に傍点]ぐったく思います。
 さて、右の四五人連れの神楽師の旅装を見ると、笠をかぶり、脚絆《きゃはん》、甲掛《こうがけ》に両がけの荷物、ちょっとお鷹匠《たかじょう》といったようないでたち[#「いでたち」に傍点]ですけれども、脇差を一本しか差してはおりません。
 七兵衛は同行しながらも、この中のドレが親分だろうと鑑定を試みましたけれど、結局ドレが親分という様子もなく、ドレが子分だという関係もないようです。
 七兵衛は、またこの親分子分という関係がだいきらいなのです。親分子分というものは、侠客《きょうかく》とかバクチ[#「バクチ」に傍点]打ちとかいう社会にはなくてはならぬものだろうが、世の中が進歩すればするほど、それがなくなるべきはずだと信じているのです。
 親分と立てられたいために、ツマらないみえや犠牲を払い、子分はまた親分に養ってもらうために、
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